〈たとえば私を白い布でぐるぐる巻きにして海に投げ入れるもいい。機関銃で撃ちまくって、家族が確認できないほどの肉片にするのもいい。これが終わるなら、この問題がもう終わるなら、そのために“生け贄”が必要だとすれば、私は真っ先に手を挙げよう〉
もちろん、Cocco自身もこの考えが〈誰もそんなこと望んじゃいない〉こともわかっているし、〈稚拙な思考回路〉〈どうしようもないナルシストな発想〉であるとも認めている。それでも“生け贄になりたい”と言うのは、それだけ基地問題の根が深いからだ。
〈誰に託せばいいのかなんてもうわからない。誰を信じればいいのかもわからない。
泣いて叫んで走り回っても私に山を動かす力はない。誰かの“愛してる”が、万人にとっての正義になり得るわけでもない。誰かの愛が故にこの島は揺れ続ける〉
Coccoの思いの切実さは、10年ほど前に出版されたエッセイ集『想い事。』(毎日新聞社刊 11年幻冬舎で文庫化)にも表れている。幼い頃の沖縄での楽しかった思い出、夢見ていたバレリーナ。家族や日常を描きながらCoccoの“想い”は沖縄へ、そして基地へと向かう。
辺野古近くにある「ジュゴンの見える丘」という美しい場所がある。Coccoは悲しいことがあると何度かその丘に立ちジュゴンを待った。しかし基地が出来たらジュゴンは絶滅し、景色も変わる。
〈その丘の向こうにヘリポートが建設されれば
私たちはまた一つ景色を失う
そもそも度重なる環境破壊や水質汚染によって
ジュゴンが帰ってくることなどもう無いのだろうと
覚悟はできていたはずなのに
最後の細い祈りが断たれた気がして、泣いた〉
だが、かつてのCoccoの想いは基地反対ではなかった。彼女にとってその「出会いは絶対だった」という“彼”の存在があったからだ。
〈父親の記憶が朧げなその人は
米国軍人と沖縄人の間に生まれたアメラジアンだった〉
〈私はその人の側で、愛する沖縄が容赦無く
彼に過す仕打ちを見てきた。
誤解を恐れずに言うなら基地の存在を否定することは
彼の存在を否定することだ〉