小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

自民党の「公平」はご都合主義! 情報操作のため逆に放送法の「公平条項」撤廃を画策の過去

 そもそもなぜ、テレビは公平中立でなければならないのか? 現行の放送法で番組の不偏不党や政治的公平、両論併記が定められているのは、放送電波が有限で、限られた事業者にしか放送免許が与えられていないという事情がある。しかし、技術の進歩でケーブルテレビや衛星放送が始まり、デジタル技術によって100を超える多チャンネル時代に突入した現在、世の中がこんな状況になっているのに、すべてのテレビ局に「公平の原則」を押し付けるのは価値観の多様性を削ぐことになりはしないか、というのが普通の民主主義国の考えだ。

 事実、安倍晋三首相が信奉するアメリカでは1980年代に放送法の「フェアネス・ドクトリン(公平の原則)」が撤廃されている。連邦裁判所が「公平の原則」は憲法で保障された「言論の自由」を侵害すると判断したためだ。連邦通信委員会は「視聴者が多様な意見に接する機会を確保する」ためフェアネス・ドクトリンを廃止した。以後、放送局は政治的中立にとらわれることなく、独自の価値判断で報道できるようになった。ルパート・マードック率いるFOXテレビが露骨な共和党寄りの報道ができるのもこのためだ。

 安倍首相が大好きな“同盟国”のアメリカが30年以上も前に捨てた「公平の原則」を、政権批判の封じ込め、自己防衛のために振りかざすとは、極めて恥ずかしい、知的レベルの低い話である。しかも、当の自民党自身が10年以上前に撤廃しようとしたものなのだ。ところで、前述のCS版「自民党チャンネル」と放送法改正の話はいったいどうなったのか? 全国紙政治部デスクがこう解説する。

「いつの間にか沙汰やみになったと聞いています。一時はかなり盛り上がったのですが、CSといえども放送局を立ち上げるとなると莫大な資金がかかる。しかも、いったい誰が24時間放送の番組をつくるのかというところで壁にぶち当たった。結局、『自民党チャンネル』自体は、いまニコニコでやってますからね。『放送法』には手をつけず、今回のようにテレビ局への恫喝の道具に使ったほうが得だという判断なんでしょう」

 実際、この10年を振り返っただけでもテレビの政治報道は激減している。とくにワイドショー系の番組で政治ネタ、とくにスキャンダルが取り上げられることがなくなった。以前なら、ちょっと思い出すだけでも、前述の年金未納問題を始め、第一次安倍政権時代は事務所費問題、消えた年金問題などが連日のように報じられていた。それがいいのか悪いのかは別にして麻生太郎首相時代の漢字読めない問題や小沢一郎の「政治とカネ」もしつこいくらい取り上げられていた。

 それがここ最近はパッタリだ。「週刊文春」(文藝春秋)が特報した下村博文の違法政治資金問題も、「週刊ポスト」(小学館)がスッパ抜いた高市早苗の「消えた1億円」疑惑も、まったく触れようとしない。そのくせ政権与党に呼ばれればのこのこ出かけていって、頭を下げる始末だ。“アベさまのNHK”とはよく言われることだが、もはやすべてのテレビ局がアベジョンウンに忠誠を誓う北朝鮮国営放送と化してしまったと言ってもオーバーではない。
(野尻民夫)

最終更新:2016.06.19 02:24

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。