取り上げられるヌードはさまざまだ。例えば、一発目に登場するのは教科書でもおなじみの詩人・高村光太郎夫人として名高い「智恵子」(正式名・長沼智恵子)が画家を志していた時期、私立の画塾で描いた男性ヌードデッサン。「男の象徴までおかしいほどリアルに描いた」作品として当時は「伝説」扱いされていたというその木炭デッサン画を著者が買い求めてみたところ「蓬髮(ほうはつ)とひげがなんともマイルド」、されど「股間はマイルド」、要するにくっきりとも朦朧もしていないビミョーな描写で「金返せ」の結果に終わったという。では一体なぜこんな「伝説」が生まれてしまったのか?
実は、ここには日本の美術教育における「ヌード画」と「女子」の関係をめぐる秘密が横たわっている。
智恵子の画が生まれた当時は、西洋美術に影響を受け国内の美術教育にも変化がもたらされ始めた時期。ヌードデッサンが授業に取り入れられるようになるその裏では「風俗取り締まり」の使命を背負った警察との間でのせめぎ合いが始まっていた。彫刻像の股間に木の葉を貼り付けたり、ヌードの腰まわりに布を巻きつけてみたり……涙ぐましい努力を続ける者数知れず。それまで主に男性の徹底的なヌードデッサンを是としていた歴史画が徐々にすたれ始めたことも後押しとなり、自主規制モードのなかで「股間ぼかし」という技法が独自に育っていったのではと著者は推理する。
加えて、同時期には女子の美術教育制度が整い始め、社会のなかで「絵を描く女性」がクローズアップされ出していた。画塾に通おうとも、周囲をほぼ男子研究生に囲まれながら男性モデルの全裸を眺めなければならない女子はまだ物珍しい存在。そのなかで画家を志す智恵子もまた「新しい美術」と「新しい女」という役割を二重に背負っていた。同じ教室で女子と肩を並べながらも時代の変化に従い、言われるがまま股間をぼかして描く男性生徒らにとって、「新しい女」は気を逸らせる格好の対象でもあったのだ。
〈男子研究生たちは、智恵子の男性デッサンの股間に、ペニス以外の何ものかを見た。彼らの見たもの、それは日本の美術界における根本的な美術理念の欠如であり、理念を欠いたまま、ルールに従っている彼ら自身である。彼らはそれを正視できず、問題の枠組みを『男性モデルを見る智恵子のデッサン』にまで委縮させた。そうすれば、すべてを智恵子個人の問題に押しつけることができた〉