小説、マンガ、ビジネス、週刊誌…本と雑誌のニュース/リテラ

ももクロに“黒人差別パフォーマンス”疑惑が浮上! 黒塗りは差別か、表現狩りか

『「ももクロChan」Presents ももいろクローバーZ 試練の七番勝負2012』(太田出版)

 現在、初主演の映画『幕が上がる』が公開中のももいろクローバーZ。だが、大きな節目となりそうなこのタイミングで、穏やかではない問題が勃発してしまった。ご存じの人も多いかと思うが、ラッツ&スターとともに披露した“黒塗り”が「黒人差別」ではないかと物議を醸したのだ。

 騒動のきっかけは、ラッツ&スターの佐藤善雄がTwitterで公開した写真だった。この写真は『ミュージックフェア』(フジテレビ系)でももクロと共演した際に撮った一枚だったが、ももクロはラッツと同じように顔を黒色に塗っていたのだ。これが黒人差別ではないかとネット上で議論を呼び、この騒動を受けてか、2月23日に日本外国特派員協会で予定されていた映画試写会および記者会見は中止に。当の『ミュージックフェア』でも、ラッツ&スターとももクロのコラボは放送されることはなかった。

 しかし、ネット上の意見を見てみると、「顔を黒く塗って何がダメなの?」「黒塗りでもかわいいけどな」「ラッツ&スターだってそれで活動してきたのに、いまさら?」と疑問をもっている人も少なくない。だが、これがアメリカならば大問題に発展していたことは間違いない。というのも、顔を黒く塗り、パフォーマンスするという行為には、黒人差別の歴史のなかでとくべつな意味があるからだ。

 19世紀、アメリカで流行した「ミンストレル・ショー」と呼ばれる大衆演劇がある。黒人差別と表現の問題を論じた『『ちびくろサンボ』絶版を考える』(径書房)によると、このミンストレル・ショーは〈黒人の無知や無知から来ると思われていた明るさを笑いものにした〉芸風で、〈二十世紀の中頃のテレビ・映画のなかの黒人イメージにまで色濃く影響を及ぼしたと言われる〉ものだ。

〈当初は白人が顔を黒く塗り黒人奴隷の服装をして、黒人の「愚行」を演じていたが、それはあくまで白人が望んだ範囲での黒人の愚かしさであったり、白人の主人への忠実な奴隷像だったりした。またこの中で唄われる「ニグロ・ソング」も、同様に当初は白人の想像上の産物であって、黒人の実際の心情を反映されたものではなかった〉(同上)

 陽気で、愚鈍で、怠惰で、滑稽──黒人をステレオタイプ化し、エンタテインメントと称して差別を助長していったミンストレル・ショー。もちろん、ラッツ&スターがミンストレル・ショーを意識して、あのような黒塗りを行っていたということはないだろう。もっと無邪気に、黒人音楽やスタイルにあこがれ、あるいは目立とうとしてあのようなメイクに行き着いたのだろうが、ミンストレル・ショーの影響、そして黒人差別の実態を知る海外の人が彼らを見れば、それは差別にしか感じられないはずだ。

関連記事

編集部おすすめ

話題の記事

人気記事ランキング

話題のキーワード

リテラをフォローする

フォローすると、タイムラインで
リテラの最新記事が確認できます。