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宇野常寛の異常な「AKB横山由依」推しはサブカル男子の“こじらせ女性観”丸出しだ!

 だが、実際の横山は「はんなり」というよりも、もっと「汗くさい」人物だ。高橋みなみや篠田麻里子といった先輩の初期メンバーから、同期、後輩にいたるまで、横山を「努力の人」と評する。レッスン開始の30分前から練習を行い、休憩時間も休まず踊りつづけ、楽屋のトイレ掃除も欠かさない。また、京都の実家から東京に通っていた研究生時代には、金曜の夜から深夜バスに乗って東京のレッスンに参加。交通費と宿泊費を捻出するため、平日は高校の放課後にマクドナルドやファミレスでアルバイトし、クリスマス時期には山崎製パンの工場でケーキづくりのバイトをしていたという。

 さらに、横山の外せないエピソードは、NMB・山本彩との“友情”だろう。NMBの兼任時代、横山はセンターの重圧を抱えていた山本に対し、「さや姉のその重荷のリュックサック半分持つな」と語ったというのだ。「一生の友」と互いが信頼しあうその関係は、生臭い話題が多いAKBグループのなかでも屈指の逸話。先日26日も、NMB・山田菜々の卒業記念コンサートにサプライズで横山が登場し、山田・山本と3人でユニット曲「太宰治を読んだか?」を熱唱したが、これも山田の卒業発表を聞いた横山が、この日のスケジュールを空けていたのだという。

 努力、苦労人、そして情に厚い──。小林よしのりは横山を「礼節と秩序の子」とブログで評しているが、たしかにこれは的を射た表現だろう。秋元康が高橋の後釜として彼女を総監督に決定したのも、こうした点に理由があると思われる。高橋同様、少なくとも責任感から恋愛スキャンダルは慎むタイプにはみえる。

 しかし、横山に決定的に欠けているのは、肝心の“アイドル性”だ。ビジュアルの地味さもあるが、男性ファンに媚を売るようなこともなく、ステージ上では全力で人一倍汗をかいているが、そこに努力の影はあっても、アイドルには必須の華やかさはない。──だが、これが宇野にとっては「ちょうどいい」のではないだろうか。

 そもそも宇野は、横山を推す前は、SKEの松井玲奈推しだったことは有名だ。『マジすか学園』を観てAKBに開眼し、その際に冷血な猟奇的少女「ゲキカラ」を演じていた松井に魅せられたというが、いつのまにか横山に推し変していたのである。この推し変にいたる心境の変化は何だったのかを考える上で、彼のAKB論をひとつ引いてみたい。

 宇野は著書『日本文化の論点』(筑摩書房)で、過去に美少女ゲームにおける“レイプファンタジー”を批判したことを挙げ、現在は〈僕はアイドルについての性の商品化と切り離して考えることはできないかと考えます〉と述べている。そして、〈そのうえで、商品化される商品の性の中に、資本主義のダイナミズムを逆手に取ってそのあり方を拡大し、解放していく可能性を考えるべきだと考えます〉といい、こうつづける。

〈ポップカルチャーにおける性の商品化については、「自分はその性暴力に自覚的である」という自意識をいくら訴えても、そうした行為はむしろ自己反省のポーズを取ることで批判を回避する防衛としか機能しない。それよりも、むしろ多様な消費のかたちを肯定し、推進することで、多様なセクシャリティの表現を獲得する戦略を僕は考えたい〉

 さまざまな作品批評のなかでもマチズモ(男性優位主義)を否定してきた宇野にとっては、AKBを肯定するためには、アイドルが内包する“性の商品化”の問題を一旦認めた上で〈多様なセクシャリティの表現を獲得する〉という新たな指針(あるいは言い訳)を打ち出す必要があったのだろう。

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