そもそも、オスプレイは事故が多発している危険な航空機だが、そのヘリパッドが建設されること以前に、高江に暮らす住民には忘れられない“ある歴史”がある。
高江には、集落を取り囲むようにしてつくられた、米軍のジャングル戦闘訓練場が存在する。これは世界で唯一のサバイバル訓練場だ。そこにはフェンスもなく、突然、住民の家の庭に兵士が現れることもあるのだという。ベトナム戦争時、ここに米軍は「ベトナム村」なるものをつくっていた。そのとき、米軍は高江の住民を連行し、乳幼児や5〜6歳の子どもを連れた女性を含む住民たちに、ゲリラ戦の演習でベトナム人の代役をやらせていた。しかも『標的の村』では、元米兵がベトナム村近辺に枯葉剤を散布したことを明かし、いまもその後遺症に苦しんでいることを告白している。彼はベトナムには行っていない。沖縄での枯葉剤散布による後遺症なのだ。
訓練とはいえゲリラ戦に巻きこみ、枯葉剤によって自然を汚され、ベトナム戦争が終わったいまでも、高江のジャングル訓練場の上空には昼も夜も関係なくヘリが旋回する。そして、次はオスプレイがやってくる……。人口160人の小さな集落である高江の住民たちは“標的”にされつづけてきたことへの怒りを込めて、唯一の抵抗手段である「座り込み」で抗議を行った。そんな当然の行為に、国は心情を理解するどころか、訴訟というえげつない手に出たのだ。
この裁判について、『標的の村』のディレクターをつとめた三上智恵氏は、『日本の今を問う 沖縄・歴史・憲法』(七つの森書館)で、「座り込みをした横に五〇センチ空いていたか、立っていたか座っていたかといった、本当にばかばかしい内容の裁判でした」と語っている。第一、訴えられた住民のうち、前述した7歳の女の子は抗議行動の現場に一度も行っていない。いかにずさんな、そして無鉄砲な攻撃だったかは明白だ。だいたい国が市民に対して脅しをかけるような訴訟を起こすこと自体が異常で非道としか言いようがないが、最高裁は14年に住民の上告を棄却している。
もっとも、沖縄がこれまで国にいかに無視されてきたかをよく知る三上氏にとっては、この判決はある意味、予想の範囲内だった。それよりも「何より打ちのめされた」と言うのは、「棄却された日に中央のマスコミはどこもニュースにしなかったということ」だった。
「結局、人びとは誰も知らないわけですよね。国に対して文句を言い、座り込んで声を上げた一国民が、通行妨害という細微のネタで裁判所に引っ立てられる。その嫌がらせ裁判を司法自ら──最高裁が認めたという、とんでもない国になった瞬間だったと思います。もちろん「琉球新報」や「沖縄タイムス」は一面の扱いでしたが、ここ東京ではニュースにもならなかった」