「(家族ぐるみのつきあいだった)僕より二つ年上のシュウちゃんは地元の公立学校ではなく、朝鮮学校に行っていた。学校は別々だったし、僕は小学二年の終わりに桜本を離れたけれど、中学になるまでときどき遊びに来ていた。中学生になってからは会っていない。
当時シュウちゃん一家は日本名を名乗っていた。差別のため本名は名乗れない時代だった。
あれから三十年たち、最近は韓流ブームが起こり、韓国には日本人観光客が何十万人も行く時代になった。一方、高等学校の無償化から朝鮮学校だけが外されたというニュースが入ってきて、いまも変わらない日本の社会の器の小ささも感じる」
無償化見直しを「日本の社会の器の小ささ」と喝破する東山は、想像以上に冷静で客観的な目をもっている。たとえば、殺人事件についてもこう書いている。
「ある殺人事件の無期囚の加害者が被害者の両親に謝罪の手紙を書いたとあった。家族は悲しみを超えて、加害者に手紙を書いた。そして両者の文通が始まった、という。
被害者と加害者の交流は異例だ。メディアでは加害者は徹底的に『殺人者』として報道されがちだ。その家族までが『悪人』のように思われることもある。でも、手紙の文面ではとても『悪人』とは思えない。殺人を犯すに至るまでいったい彼に何があったのか。重いテーマだが、被害者と加害者双方の内面はどういうものか、などと考える」
本書を読んでいると、東山が社会的な問題に常に関心を払い、個人的な体験を社会問題とつなげて考えようとしていることがよくわかる。そして、わかりやすい感情に流されず、周囲の圧力や空気にも屈さず、あくまで自分の頭で考えようとしていることも。
これに比べると、大勢のヒステリーに付和雷同し、わかりやすい差別感情を煽ることしかしないメディアや安倍首相をはじめとする政治家たちのなんと愚劣なことだろう。
だからこそ、政治利用批判に臆さず、何度でも言おう。「中国人はゴキブリ」「韓国人はダニ」というヘイト宮司を「日本人の誇り」と絶賛している安倍さん、東山の本を読んでみてほしい。頭のあまりよくないあなたでも、どちらが誇りある日本人か、よくわかるはずだ(今回はちょっと丁寧めにお届けしました)。
(伊勢崎馨)
最終更新:2017.09.17 10:08