また、「性奴隷」という用語についても、クマラスワミ報告書は強制連行をしていたからこの言葉を用いたわけでないことをはっきりと書いている。報告書は、東京訪問中に日本政府から慰安婦に「性奴隷」を用いるのは不正確であると指摘されたことを明かした上で、
《戦時中、軍隊によって、また軍隊のために性的サービスを強要された女性たちの事例は軍性奴隷制の実施であったと、本特別報告者はみなしている》
《「慰安婦」の実態は、関連国際人権機関および制度が採用しているアプローチに従えば、明確に性奴隷制でありかつ奴隷に似たやり方であるという意見に立つものである》
と反論している。報告書が問題にしているのは、慰安所に対する軍の関与と軍の統制、つまり慰安婦たちの自由と自主性が著しく奪われていたことであり、強制連行の有無とは関係なく、国連の定義に従って性奴隷と認定した、ときちんと説明しているのである。
いったいなぜ、これが「吉田証言を根拠に性奴隷と認定された」ことになるのだろうか。
読売や産経の記者、そして菅官房長官や安倍首相はこの報告書をきちんと読んでいないのか。いや、そんなはずはない。彼らはおそらく、このクマラスワミ報告書に吉田証言を否定する意見が書かれていることや、性奴隷という認定の根拠が吉田証言ではないことを知っていたはずだ。知っていて、それを意図的に無視し、「吉田証言がクマラスワミ報告書に影響を与えた」(菅官房長官)という捏造を行ったのである。
なぜか。答えは明らかだ。クマラスワミ報告書の根幹をなす直接の聞き取り証言は今のところ完全にくつがえす材料を見つけるのが難しいため(推測によるでっちあげ批判は行っているが)、朝日が誤報を認めた吉田証言だけを抜き出し、その吉田証言とともに慰安婦という「日本の恥」を葬り去ろうとしているのだ。そして、仇敵の朝日をさらに追いつめる。全体の文脈を無視して、ほんの数行の吉田証言だけをクローズアップするこのやり方は福島原発事故の吉田調書報道で朝日が批判を受けた「事実の切り貼り」そのものではないか。朝日に対して、読売や産経は〈批判回避へ論点すり替え〉〈また問題のすり替えとごまかしか 朝日〉と批判しているが、読売と産経、そして安倍政権こそが論点をすりかえて、従軍慰安婦そのものを封じ込めようとしている。
実はこれまでも、歴史修正主義者や保守メディアはこうした手口で慰安婦問題を巧妙に誘導してきた。「銃剣を突きつけての狭義の強制連行のみが問題」と自分たちに都合のいい定義を勝手にデフォルトにして、それを否定してみせることで、慰安婦制度そのものの存在を隠蔽してきた。