一方、ファンタジーではないが、宮崎監督が抱いている時代への危機感とリンクしているのが『飛ぶ教室』だ。宮崎監督はこの作品について、「時代が破局に向かっていくのを予感しつつ、それでも「少年たちよ」という感じで書かれたもの」と語っている。しかも、この物語を読んで「ぼくには少年時代も大人の時代もやり直すことはできません。でも…と思います。ちゃんとした老人になら、まだチャンスはあるかもしれないって…。」という感想を述べている。
『みどりのゆび』も同じように、宮崎監督が今の時代に必要だと考えているお話かもしれない。自分の親指がふれるものから草や花がはえてくるという能力をもった主人公のチトが兵器工場や刑務所を緑にかえてしまうお話で、まさにジブリ的なファンタジー。宮崎監督も「ぼくらのゆびは、みどり色ではありませんが、チトの側にいようと思っています」と思い入れたっぷりに語っている。
『ぼくらわんぱく5人組』はナチス占領前のチェコスロバキアのユダヤ人の少年の話だが、ファンタジー的な要素も強い。宮崎監督は「あとの12章は作者が何を伝えようとしているのか、ぼくには判らないのです」「未完だったかもしれないとも思いました。作者はこの原稿をひみつの机にかくして、強制収容所で殺されてしまったからです。」と語っているが、その感想はネガティブなものではなく、どうにか理解したいという気持ちが伝わってくる。しかも、この数年後、震災直後のインタビューでも、宮崎監督はこの作品のことをこんなふうに語っている。
「風が吹き始めました。(中略)生きていくのに困難な時代の幕が上がりました。この国だけではありません。破局は世界規模になっています。(中略)放射能をはらむ風が窓の外の樹々を吹き荒れているのを見ているうちに、今、もう一度『ぼくらはわんぱく5人組』を読まなければならないと思いました。ポラーチェクがアウシュヴィッツで殺されたとき、この原稿はある出版社の机のなかにかくされていたのです。/この作品は「やり直しがきく話」という僕の考える児童文学の範囲をはるかに超えるものを含んでいるようです。」
実は同じインタビューの中で、宮崎監督は自分とジブリがこれから取り組むべき映画について「風が吹き始めた時代の映画は、机の抽斗にかくさなければならない作品かもしれないという覚悟がいります」とも話している。宮崎監督がこれから、ナチの占領下で机の引き出しに隠されていた作品を取り出し、新しい時代の映画にしようとする可能性は十分ある。
どうだろう。いずれも、宮崎監督が思い入れたっぷりに語っているだけあって、ジブリが映画にするのにふさわしい作品ばかりだ。ここはあえて断言しよう。ジブリの次回作は『まぼろしの白馬』『飛ぶ教室』『みどりのゆび』『ぼくらはわんぱく5人組』このうちのどれかだ、と。
こんなことを書くと、「夕刊フジ」や「ZAKZAK」を信じているあなたは「ジブリは解散するのに、何を妄想してるの?」と小馬鹿にするかもしれない。だが、筆者とリテラは誰がなんといおうと、ジブリが、そして宮崎駿が「いまの時代にほんとうに観てよかったと思える新しいファンタジー」で私たちを再び感動させてくれると確信している。答えは遅くともあと数年のうちに出るはずだ。
(酒井まど)
最終更新:2014.09.23 08:52