明治の旧皇室典範の策定時にあった女性天皇を認める案 井上毅が「男尊女卑」思想で排除
では、なぜ「日本の伝統」でもなんでもない「男系男子による皇位継承」が絶対的なものになってしまったのか。
さまざまな分野の学者が共通して指摘しているのが、明治時代、旧皇室典範が制定される際にそれが恣意的に行われたという事実である。
明治時代の旧皇室典範は大日本帝国憲法と同じ1889年に制定・施行されるが、実は当初の案では女性による皇位継承を認める内容だった。
民法を専門とする橋本有生・早稲田大学准教授は、2021年12月の有識者会議でヒアリングをされた際、以下のように意見を述べている。
〈女性天皇をめぐる議論は目新しいものではなく、旧皇室典範制定時の諸資料にも検討の跡が残されている。 たとえば、「国憲按第一次案」(明治9年)の第二章「帝位継承」における第2条及び第4条は、女性による皇位継承を認める内容である〉
しかし、この案は議論の過程で修正・削除される。それは、旧皇室典範策定にかかわった女帝否定論者の強硬な反対によるものだった。
その中心にいたのが、のちに文部大臣も務めた法制官僚・井上毅(こわし)だ。井上は大日本帝国憲法や教育勅語の起草にも関わった人物だが、皇室典範制定でも主導的な役割を担い、いま右派が声高に叫んでいる「男系の皇統」という概念を広めた張本人だ。その井上が、当時、女性による皇位継承を認める第一次案についてこんな意見書を提出していたという。
「我国の現状、男を以て尊しとなし、之を女子の上に位せり」
「男を尊び、女を卑むの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは、多弁を費すを要せざるべし」
ようするに「日本は男尊女卑の国で、国民の脳髄まで男尊女卑の思想が浸透しているから、女性天皇が不可なのは言うまでもない」と言っているのだ。
今回の皇室典範改定をめぐっては多くの国民が、「女性天皇を認めないのって、ただの女性差別なんじゃないのか」と素朴な疑問を口にしていたが、まさにその疑問通り、露骨すぎる女性差別がベースになっていた。
しかも、この旧皇室典範の思想は大日本帝国の軍国主義とも深く結びついている。
井上は前述したように、旧皇室典範を作っただけでなく、大日本国憲法や教育勅語などにも深く関わっていた。井上の「神武以来の男系男子による継承=万世一系」「万邦無比の国体」というフィクションは、様々な法制度に落とし込まれ、祭政一致の国家主義、軍国主義の基盤となった。
そして、そのグロテスクな思想に基づいて、「現人神の天皇陛下のために命を捧げる」ことを強制する教育が行われ、それが数々の侵略戦争を引き起こしたのだ。


