今年5月23日「新憲法制定議員同盟」大会で挨拶する安倍元首相(自民党HPより)
安倍晋三・元首相が街頭演説中に銃撃され死亡するという事件を受け、テレビは「志半ばで凶弾に倒れた悲劇」としてセンセーショナルに報じ、安倍氏一色の状態となっている。しかも、参院選の投開票を明日に控えたなかで、本来ならば円安と物価高が進むいまこそその是非が検証されるべきアベノミクスを「功績」として取り上げるなど、故人の過大評価、美化・神格化がはじまっている。
さらに、この報道の洪水のなかで繰り返されているのが、「安倍元首相の悲願は憲法改正」「憲法改正が安倍元首相の夢だった」といったフレーズだ。
たしかに改憲が安倍氏の悲願であり夢だったことは事実だ。しかし、参院選の投開票を目前に控えたなかで、その中身について伝えることもなく、センセーショナルに「安倍氏の悲願は憲法改正」と報じるとは──。報道が自民党への「弔い票」の誘い水になっているだけではなく、憲法改正までもが“同情を寄せる先”になりつつあるのだ。
無論、安倍応援団やネトウヨのみならず、自民党議員もさっそく安倍氏の訃報を改憲の機運の醸成として利用している。“ヒゲの隊長”こと佐藤正久・自民党外交部会長は、安倍氏の訃報を受けて〈政治家、安倍晋三氏の目標は、憲法改正含め道半ばだったはず。我々がやらねば〉とツイートし、選挙戦最終日となった本日8日には、複数の自民党議員および候補者が「安倍元総理の遺志を継いで憲法改正を成し遂げねばならない」と訴えた。
言わずもがな、安倍氏の事件と参院選の投票行動は切り離して考えられなければならない事柄だ。にもかかわらず、テレビは「憲法改正は安倍氏の悲願」と情緒的な報道で同情を煽り、自民党は「安倍氏の遺志を引き継ぐ」と連呼して憲法改正の機運を高めようとしているのである。
そして、これらが有権者に与える影響は、けっして小さくはないだろう。実際、自民党関係者は「安倍さんの遺志を継ぐ形で改憲論議が進むのではないか」と語り(時事通信9日付)、田原総一朗氏も「この事件が起きたことで、参院選で自民の議席は増えるだろう。憲法改正もしやすくなる」(毎日新聞8日付)とコメントしている。
つまり、今回の安倍氏の事件を受けた参院選の結果によって、憲法改正が一気に推し進められる可能性が非常に高まっているのだ。
憲法改正は、同情によって進めていいような問題ではなく、いわんや国民に安倍氏の遺志を引き継ぐ理由などどこにもない。いや、そもそも安倍氏が訴えてきた憲法改正の中身は、この国を「戦争できる国」に変え、さらには国民の権利を奪おうという、とんでもない内容だ。
参院選投票日を控えて、そのことを改めて具体的に指摘しておきたい。