「当時は文通費の意識なかった」と言い訳も、100万円受け取り後に橋下徹、松井一郎との鼎談で「文通費は第2の財布」と
しかも、本サイトが昨日、衆議院事務局に確認したところ、「文通費は辞職日から7日以内に支払われる」という説明だった。一方、吉村氏が辞職したのは10月1日で、この生放送は6日。つまり、「文通費は第2の財布」「おかしい」と口にしていた前後に、吉村氏は月の在職日数がわずか1日であったのに満額の100万円を受け取っていたのである。
普通に考えれば、これだけ文通費について問題意識を持っていたのであれば、在職日数1日で100万円も支払われた際に「これはおかしい」と思うはずであり、その出来事は強烈に記憶に残っているはずだ。むしろ、市長選を控えて、今回のように「1日で100万円はおかしい!」と声をあげ、知名度向上に利用することだってできた。だが、吉村知事は「記憶が曖昧」だの「頭の中は市長選でいっぱいだった」などと言うのである。
さらに言えば、橋下氏は2014年の年末には「大阪市長を頼むよ」と吉村氏に話をしたと当時の会見で明かしているように、急転直下で10月1日直前に吉村氏が市長選の候補者になったわけではない。また、大阪維新の会が吉村氏を大阪市長選で擁立することを決定したのは2015年9月26日であり、この時点で吉村氏は辞職することもできたはずなのだ。ようするに、吉村知事にとって文通費への問題意識とは、いまも昔もその程度の話でしかないのだろう。
いや、問題意識どころか、文通費はたんなる政争の具でしかなく、「公費の透明性を担保しなければならない」といった信念や理念さえ、吉村氏は持ち合わせていない。
吉村氏はこの鼎談のなかで「あれを公開しないとこは本当にもう第2の財布で、飲み代や何やに消えてるでしょうねぇ」と述べていたが、当の吉村氏自身、文通費を「第2の財布」にしていた疑いがあるのだ。
維新は文通費の使途報告書をネット上に公開しており、それを「身を切る改革政党」の証明であるかのように喧伝してきたが、本サイトでは昨日も言及したように、吉村氏が在職日数1日で100万円を受け取った2015年10月分の吉村氏の使途報告書は公開されていない。他の議員については、維新のHPが2015年10月から使途報告書を掲載しているが、なぜか吉村氏の分は文通費をどのように使ってきたのかがわかる報告書が現在確認できない。
その理由を、昨日本サイトが維新の党本部に問い合わせると、維新の担当者は「議員会館の片付けや選挙があったから」とし、今後公開する予定についても「古すぎますのでね」などと言い、公開に後ろ向きな姿勢を見せた。
だが、衆院議員時代の吉村氏の政治資金収支報告書を確認すると、その理由が浮かび上がってきた。