追悼文取りやめの理由も説明せず「災害の様々な被害によって亡くなられた方々」とひとまとめでゴマカシ
実は、小池はそもそも追悼文取りやめの理由についても、こうした“一般化による矮小化”という詐欺的手口を使っている。まず、取りやめを発表した2017年8月記者会見でその理由を問われたときも、実は小池は「民族差別という観点というよりは、私は災害の様々な被害によって亡くなられた方々についての慰霊をすべきであると思っています」と言っただけで、具体的な理由は一切答えていない。
また、今年6月末に都知事選を前にしたネット討論で津田大介氏に問われたときも、「さまざまな事情で犠牲になられた方。大きな災害で犠牲になられた方。その方々の、お気持ち、お心、ということで、哀悼の意を表させていただくのが、毎年9月、3月の慰霊堂での式であるということであります」としか答えなかった。
なぜ追悼文をわざわざ取りやめたのかと津田氏は2度問うたのだが、小池都知事ははぐらかし答えず、これまで同様「災害に続いて、さまざまな事情で犠牲になられた方」などとあからさまに朝鮮人虐殺という言葉を避け、災害と虐殺の犠牲者をひとまとめにし、虐殺の史実を矮小化したのである。
改めて言っておくが、朝鮮人虐殺はデマや流言によって多数の朝鮮人や中国人が、日本の警察や軍、自警団に虐殺されたのは歴然たる事実である。それは、当時、治安出動を指揮した警視庁官房主事の正力松太郎自身も証言している。
そして、これは現在のヘイトスピーチ、ヘイトクライムにもつながる、人類が記憶すべき重大な史実でもある。ましてや、加害当事者である日本がその記憶と反省を忘れずつないでいくことは当然の責務だ。
ところが、小池はわざわざ何十年も続く追悼文の送付を取りやめ、ヘイトクライム・虐殺の事実そのものをなかったことにしようとしているのだ。