「天皇の神通力で雨が止んだ」のオカルトは、日本を戦争へと駆り立てた現人神思想と地続き
今さら言うまでもないが、戦前、天皇は国家元首にして総攬者であっただけでなく、神話に由来する“現人神”という司祭だった。大日本帝国憲法では、「神聖ニシテ侵スベカラズ」と規定され、「天皇は天照大神の子孫である」などという神話が史実として国民に教育された。学校には天皇の写真である御真影が置かれ、学校火災から御真影を守ろうと教師が焼死したり、燃えてしまった責任を取って自殺するなどの事件が全国で相次いだ。
政治権力はそうやって大衆に天皇を神聖視させることによって、刃向かうことのできない絶対的な支配システムを作り出したのである。国家神道の研究でも知られる歴史学者の故・安丸良夫氏は、著書でこのように書いている。
〈伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は、一見すれば祭政一致という古代的風貌をもっているが、そのじつ、あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を求めて、国民の内面性を国家がからめとり、国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。そして、それは、復古という幻想を伴っていたとはいえ、民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なものでもなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制であった。〉(『神々の明治維新』岩波新書)
たとえば靖国神社がそうであるように、国家神道は「官軍」や軍人など、“天皇のために死んだ者”だけを選んで祀った。このカルト的とさえ言える支配構造は、それこそ「天皇陛下万歳!」の掛け声に凝縮されている。そこでは、天皇を神として崇拝することが、大日本帝国の「臣民」、すなわち「天皇の赤子」の必然的行為と定義された。政治権力は、戦争も略奪も「天皇陛下万歳!」によって正当化することができた。そのための“神格化”だったのである。
その結果、何が起きたか。神国日本が負けるわけがない、いつか神風が吹くと無謀な戦争、他国への侵略へと突き進んでいったのである。しかもその戦い方も天皇制カルトそのものだった。旭日旗を「天皇の分身」と信じ込み、奪取された連隊長が切腹し、旗手が旗もろとも自爆する。特攻隊として「天皇陛下万歳」と叫びながら、敵艦に体当たりする。戦争末期、政府が国民の命よりも三種の神器を守ることに必死になっていたのも有名な話だ。そして、こうしたカルト思想がどんどん被害を拡大させ、国内外で数千万人という命を犠牲にしたのだ。
その意味で、「天皇が儀式をしたら雨が上がって虹がかかった」という無邪気な“オカルト”は、まさに、戦前・戦中の国家神道的な価値観と地続きにある。事実、東京で雨があがっただけで、各地の水害を忘れてしまう思考停止ぶりは、天皇のために国民の悲劇を全てなかったことにした戦時中のそれと同じではないか。