先の戦争を「勝ってもおかしくない戦争」と主張する“お花畑脳”
教育勅語(1890年発布)に対する評価も過剰だ。『不合格教科書』ではわざわざ1ページ半のコラムを設け、いわゆる「12の徳目」について〈そうです、このような生き方は、先人たちの教えだったのです。先人たちが良き伝統を残してきたから今の日本があると言えるのです〉などと賞賛。加えて〈しかし、教育勅語はこのような美徳を実践するように国民に命令する箇所はありません。それどころか、天皇自ら実践すると宣言しています〉などと解説する。典型的な教育勅語の礼賛だ。
戦前の教育勅語を現代に復活させようと目論む極右勢力は、きまって「教育勅語は『親孝行せよ』『夫婦は仲良くしろ』などと当たり前の良いことが書いてある」と主張する。だが、教育勅語を読めばわかるが、そうした「徳目」はすべて〈天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉すなわち「永遠に続く天皇の勢威を支えよ」にかかっている。12番目の〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ〉(ひとたび皇国に危機が迫ったならば、忠誠心を発揮してその身命を捧げよ)というのもそうで、つまり“おまえたちは天皇を中心とした神国日本の臣民であり、その身と心を天皇に捧げよ”というのが、教育勅語の本質である。
もっとも、上に挙げたのはほんの一部で、他にも「どんな脳ミソで書いたのか?」と聞きたくなるような記述は枚挙にいとまがない。なかでもヒドいのは “先の戦争は日本が勝てた戦争だった”と大々的に主張していることだろう。「対米戦争に勝算はあったのか」というコラムのなかで、このように書いている。
〈日本とアメリカは国力を比較すると、圧倒的にアメリカの方が大国です。しかし、日米の海軍力を比較すると日本もそれなりの力を持っていたことが分かります。〉
〈無論、国力が異なるので長期戦になったら不利ですが、短期か中期であれば、互角どころか、有利に戦える可能性があったのです。
戦後になって「勝てるはずがない戦争」といわれることがありますが、兵力差などから分析すると、短期戦あるいは中期戦なら「勝ってもおかしくない戦争」、もしくは「勝たないまでも負けなかった戦争」であると言えます。〉
いったい何を言っているのだろう。「うまくやればアメリカに勝てていたはず」とか「もし日独伊が連合国に勝利をおさめたら戦後日本はこうなっていたはず」というような物語をしばしば「架空戦記」と呼ぶが、それは言うまでもなく歴史学ではない。ファンタジーである。義務教育の教科書に載せられるものではない。
だいたい、「勝ってもおかしくない戦争」だったらなんだと言うのか。戦争は、あまりにも多くの人々の生命と生活、自由と人生を犠牲にする。日本人だけではない。植民地支配した国々もそうだ。日本の「皇軍」は民間人を含む大量の人々を殺し、奪い取った。そこから、戦後日本は「もう戦争はしたくない」という人々の切実な思いとともに歩んできた。