前川喜平が指摘した「子育ては家庭、社会のケアは不要」という考え方の危険性
彼らは、こうした価値観にもとづいた親子の連帯責任論が何を引き起こしているのかわかっているのだろうか。「子育ては親の責任」という圧力が、社会の子育て協力を妨害し、逆に虐待やネグレクトの放置を招いていることはもちろん、親と子を同一視する考え方じたいが、両者の距離感を喪失させ、過保護や過干渉、さらには家族間殺人などの原因にもなっている。
橋下、竹田、坂上らは感情論で、この日本を支配する家族観の最大の問題点を煽っているのだ。
しかも、彼らは一方で、事件の背景にある社会の問題にはまったく言及しない。そもそも、引きこもりの急増は、就職氷河期や不安定雇用が背景にあり、政治や行政の責任が大きい。しかし、そうした背景には一切触れず、すべてを家庭教育に還元するのだ。
そういう意味では、『バイキング』はともかく、橋下徹氏や竹田恒泰氏が元農水事務次官の子殺しを正当化したというのは、偶然ではない。
この家庭への責任押し付けこそ、新自由主義と国家主義的なものが補完しあっている安倍政権とその応援団の教育方針だからだ。
文科省の元事務次官・前川喜平氏は、以前、本サイトで安倍政権の「子育ては家庭がするもの」という考え方が非常に危険であることをこう指摘していた。
「日本の復古的な家庭教育、そして『親学』がある。親学というのは、子どもに問題があるのは『親がしっかりしてないからいけない』という考え方です。しかし、いくら『しっかりしたい』『がんばりたい』と思っていても、余裕のない親はたくさんいる。そういう問題を解決しないで『親がいけないんだ』と親の責任にして押し付ける。結局、それでは貧困や母子家庭であえぐ子どもたちを救うことにならない。“親がしっかりすればいい”なんて論理は、つまり“社会的なケアなど必要ない”と言うのと同じです」
「子育ては家庭がするもので、社会的なケアは必要ないという考え方は、弱い家庭は崩壊していい、崩壊した家庭から子どもが放り出されるのは仕方がないと言っているのと同じです。弱肉強食の競争で負けたのは自己責任だという新自由主義的な考え方です」
まさに前川氏の言う通りだろう。しかし、現実には、こんな深刻な状況が起きてなお、“親の責任”を声高に説教することしかできない人間が、政治やメディアで大きな顔をしている──。これでは、親子間の不幸な事件が頻発する状況を食い止めることなんてできるはずもない。
(編集部)
最終更新:2019.06.06 01:34