戦前の天皇制や国体思想の復活を目論んだ元号法制化運動
そもそも、明治以降、天皇制のイデオローグとして活用された元号は、第二次世界大戦での敗戦で、その法的根拠を失った。日本国憲法下の皇室典範に元号の定めが置かれなかったためだ。当然、こうした法的問題と、戦後の国際化の流れのなかで、「元号を使うのはもうやめて西暦に統一しようではないか」という廃止論も盛り上がった。そして、昭和天皇の高齢化に伴い、「昭和」の元号が終わりを迎える日が刻一刻と近づいていった。
こうした流れに強い危機感を抱き、元号の法制化に邁進したのが、いまの日本会議に繋がる宗教右派・極右運動家たちだった。いま現在、元号は1979年施行の元号法によって法的な地位を得ているが、これは、彼ら極右運動体の“成果”であり、日本会議前史における大きな“成功体験”として刻まれているとされる。
改めて説明しておくと、1997年結成の日本会議は、生長の家や神社本庁などの宗教右派が実質的に集結した「日本を守る会」(1974年結成)と「日本を守る国民会議」(1981年結成)が合わさって生まれたものである。後者はもともと、この元号法制化運動のための「元号法制化実現国民会議」が前身だ。そして、これらの団体の実働部隊が、現在でも日本会議の中心にいる右翼団体・日本青年協議会(日青協)だった。
元号法制化運動が大きく動いた1977年、日青協が中心となって全国各地にキャラバン隊を派遣する。彼らは同年秋に各地の地方議会で元号法制化を求める決議を採択させる運動に熱心に取り組んだ。
日本会議の機関誌「日本の息吹」2017年8月号で、同政策委員会代表の大原康夫・國學院大學名誉教授が「設立20年」をテーマにふりかえるところによれば、元号法制化地方議会決議運動は翌78年7月までに46都道府県、1632市町村(当時の3300市町村の過半数)で決議がなされた。大原氏はこう述べている。
〈地方議会決議を挙げ、中央・地方に全国的組織をつくるキャラバン隊派遣など啓蒙活動を行い、国会議員の会を組織していく。つまり、現在の日本会議の国民運動の骨格であるこの三本柱は、このときに形作られたのです〉
実際、当時の日青協の機関紙「祖國と靑年」は、キャラバン隊の運動の詳細や、森喜朗ら政治家を招いた大規模集会の模様を写真付きで大々的に取り上げている。たとえば1979年11月発行の43号では、キャラバン隊の西日本隊長だった宮崎正治氏が憲法改正を見据えて「吾々の運動の大きな前進」「元号法成立による自信の表明」と胸を張っている。
しかも彼らは、明らかに元号法の制定の先に、戦前の天皇制や国体思想の復活をみていた。
生長の家系の出版社である日本教文社から1977年に刊行された『元号 いま問われているもの』という本がある。そのなかに竹内光則氏、佐藤憲三氏という日青協の運動家ふたりの対談(初出の「祖國と靑年」に加筆したもの)が収録されているのだが、そこでは「元号法制化の意味するもの」と題して、あけすけにこう語られている。
「元号法制化運動の一番根源的な問題は、天皇と国民の紐帯をより強化する、天皇の権威をより高からしめるというところに一番の眼目がある」
「われわれの元号法制化運動は、たんに元号を法制化したらそれで良いという単純な運動ではないわけですね。彼(引用者注:右翼思想研究でも知られる橋川文三氏のこと)が言う様に、『天皇制をとりまく付帯的な事実』としての元号とか、たとえば『神器』の問題とか、そういう戦後の象徴天皇制の下で無視もしくは軽視されて来た問題を復活せしめて行くことによって、『国体恢復』への『大きな流れ』をつくる運動なんだということが理解されなければならないと思うんです」
わたしたちが、なんとなく受け入れてしまっている元号は、右派の元号法制化運動をみてもわかるように、戦前日本の天皇制と国体思想、すなわち民衆を戦争に駆り立てた狂気の発想の復活を目したものに他ならないのである。
そして、その極右勢力が担ぎ上げている指導者こそが安倍晋三首相だ。その意味では、冒頭で触れた「新元号に安倍の“安”が入る」なる観測は、元号のもつ危険性がはからずも漏れ出ているともいえるかもしれない。いずれにしても、大日本帝国のイデオロギー装置の残骸のひとつである元号を、右派が望む思想的本質の方から直視するべきではあるまいか。
(宮島みつや)
最終更新:2019.01.31 08:04