指原の『逆転力〜ピンチを待て〜』(講談社)
指原莉乃のAKBグループ卒業が発表された。メディアでは、スキャンダルからの総選挙1位、総選挙通算4度のトップに3連覇、プロデュース能力も発揮、トーク力でMCとしても確固たる地位を獲得したことなど、その功績が盛んに取り上げられている。
たしかに、指原がかわいさや歌やダンスのスキルを売りにした正統派アイドルとは違う、これまでにないアイドル像を確立したことは事実だ。
しかし、それは手放しで評価できることではない。なぜなら、指原の“オルタナティブなアイドルとしての成功”は、男社会の玩具という存在から脱却して確立したものではなく、逆。むしろ、男の論理、オヤジの論理の内面化をしたことによるものだったからだ。
その典型が、彼女が「ブス」という形容を受け入れたプロセスだ。指原は2015年に出版した新書『逆転力〜ピンチを待て〜』(講談社、2015年)で自分のことをこう語っている。
〈私の周りのみんなに「ブスって言わないでください!」と言ったとしたら、「ううん。別にいいけど、他に言うことないよ」と腫れ物扱いされかねないじゃないですか。でも「ブスでOKです!」と言っておけば、イジッてもらえるかもしれない。(中略)そうやって世の中に出てきたのが、指原という女です〉
指原がブスを自称し始めたのは、仕掛け人の秋元康がアンチファンによってネット上に書き込まれていた“ゲロブス”という指原の蔑称を知り、大いに気に入ったらしく、「ゲロブスいいよ」「ゲロブスっていえば指原、っていうのを定着させたい」と言い出したことだった。秋元のセンスのなさ、致命的な下品さはいまさら言うに及ばないが、指原はこのようなおじさんたちにイジられることを受け入れたにすぎない。
そして、タチが悪いのは、その男社会の論理の受け入れを他の女性たちにまで強要していることだ。指原は同書でこんなことも述べていた。
〈おとなしい美人には意味がないって言いましたけど、親しみやすさのないブスって最悪だと思う〉
問題は美醜だけで女性の価値を判断する男社会の側にある。ブスは性格が良くなくてはいけない、親しみやすくないといけないなどというのも、結局は強烈な外見至上主義のなかで、「男性に選ばれるにふさわしい外見がもてなかった者」の生きる道として「気立てのいい女」になるという選択肢を、勝手に男たちが用意しただけにすぎない。にも関わらず、それを「親しみやすさのないブスは最悪」と、女性の側の責任にして断罪する。まさにこれはオヤジそのものといっていいだろう。