「昭和天皇の思い」を攻撃、無視した極右文化人たちのご都合主義
たとえば、“極右の女神”こと櫻井よしこ氏はその典型だ。「週刊新潮」の連載で〈そもそも富田メモはどれだけ信頼出来るのか〉(2006年8月3日号)とその資料価値を疑い、さらにその翌週には、3枚目のメモの冒頭に「63・4・28」「Pressの会見」とあることを指摘、〈4月28日には昭和天皇は会見されていない〉〈富田氏が書きとめた言葉の主が、万が一、昭和天皇ではない別人だったとすれば、日経の報道は世紀の誤報になる。日経の社運にも関わる深刻なことだ〉(2006年8月10日号)と騒ぎ立てた。
しかし、実際には「63・4・28」というのは富田氏が昭和天皇と会った日付であって、「Pressの会見」はそのときに昭和天皇が4月25日の会見について語ったという意味だ。ようするに、櫻井氏は資料の基本的な読解すらかなぐり捨てて、富田メモを「世紀の誤報」扱いしていたわけである。いかに、連中にとって、このA級戦犯の靖国合祀に拒否感を示した昭和天皇の発言が“邪魔”だったかが透けて見える。
もっとも、本性をさらけ出したのは櫻井氏だけではなかった。たとえば百地章氏、高橋史朗氏、大原康男氏、江崎道朗氏ら日本会議周辺は、自分たちの天皇利用を棚上げして「富田メモは天皇の政治利用だ!」と大合唱。長谷川三千子氏は〈これ自体は、大袈裟に騒ぎたてるべき問題では全くありません〉〈ただ単純に、富田某なる元宮内庁長官の不用意、不見識を示す出来事であつて、それ以上でもそれ以下でもない〉(「Voice」2006年9月号/PHP研究所)、小堀桂一郎氏は〈無視して早く世の忘却に委ねる方がよい〉(「正論」2006年10月号/産経新聞社)などとのたまった。
また、あの八木秀次氏も、富田メモについて〈この種のものは墓場までもっていくものであり、世に出るものではなかったのではあるまいか〉とうっちゃりながら、〈首相は戦没者に対する感謝・顕彰・追悼・慰霊を行うべく参拝すべきであり、今上天皇にもご親拝をお願いしたい〉(「Voice」2006年9月号)などと逆に天皇に靖国参拝を「お願い」する始末。
いったい連中は天皇をなんだと思っているか、改めて訊きたくなるが、なかでも傑作だったのは、長谷川氏、八木氏と並んで“安倍晋三のブレーン”のひとりとされる中西輝政氏だ。中西氏はどういうわけか、この富田メモを同年7月5日の北朝鮮のミサイル発射、そして安倍晋三が勝利することになる9月20日の自民党総裁選に結びつけて、こんな陰謀論までぶちまけていた。
〈いずれにせよ「七月五日」と「七月二十日」(引用者注:富田メモ報道)に飛び出したこの二つの「飛翔体」は、確実に「八月十五日」と「九月二十日」に標準を合わせて発射されていることだけは間違いなく、それぞれの射程を詳しく検証してゆけば、それらが深く「一つのもの」であることが明らかになってくるはずである。〉(「諸君!」2006年9月号/文藝春秋)
こうした「保守論壇」の反応は、保守派の近現代史家である秦郁彦氏をして〈「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない」(ユリウス・カエサル)という警句を思い出した〉〈はからずも富田メモをめぐる論議は、一種の「踏み絵」効果を露呈した〉(『靖国神社の祭神たち』新潮社)と言わしめたが、結局のところ、昭和天皇が側近にこぼした言葉を“北朝鮮のミサイル”と同列に扱う神経をみてもわかるように、「富田メモ」が明らかにしたのは、昭和天皇のA級戦犯合祀への嫌悪感だけでなかった。
つまり、普段、天皇主義者の面をして復古的なタカ派言論をぶちまくっている右派の面々たちは、ひとたび天皇が自分たちの意にそぐわないとわかると、平然と“逆賊”の正体をむき出しにし、やれ「誤報だ」「無視しろ」「まるでミサイル」などと罵倒しにかかる。そのグロテスクなまでの政治的ご都合主義こそが、連中の本質であること暴いたのだ。