首相官邸ホームページより
俳優の津川雅彦氏が今月4日、心不全のため亡くなったことが7日夜に報じられた。「日本映画の父」と呼ばれるマキノ省三を祖父にもつという華やかな芸能一家に生まれ、日活のスター俳優に登り詰めた後は伊丹十三監督作品をはじめとして幅広い役柄を演じてきた。他方、極右思想の持ち主としても知られ、自身のブログやメディアなどで特攻隊礼賛や侵略戦争の美化、徴兵制の復活などを主張。2016年には『そこまで言って委員会NP』(読売テレビ)で、「保育園落ちた」ブログに対して「ブログ書いた人間が死ね!」と暴言を吐いたことも話題になった。
7日の訃報を受け、ネット上では本サイトが2015年に配信した津川氏の極右思想を批判した記事を引用するかたちで紹介する人も多かったが、これに対してネトウヨたちが非難。「死者への冒涜だ」と騒いでいる。
亡くなったこと自体に喜ぶ言葉を投げるような行為は下品、下劣極まりないが、それと生前の発言について批判をおこなうことは意味がまったく違う。政治家や学者、芸術家らが鬼籍に入っても、過去の言動や表現、作品をきちんと検証・批判するのはむしろ当然の行為だ。
しかし、津川氏をめぐっては、そうしたネトウヨの言いがかりも霞むような、思わず唖然とすることが起こった。安倍首相の特別すぎる“弔意”の件だ。
津川の訃報が報じられた7日夜の翌日、安倍首相はわざわざ会見を開き、「突然の訃報に接して本当にショックを受けています。悲しいですね。寂しい思いです」と述べると、饒舌になってこんなふうにつづけたのだ。
「総理を辞職した後、本当に津川さんには温かく励ましていただき、背中を押しつづけていただきました」
「津川さんは優れた俳優・監督として、その才能を発揮してこられた。まさに昭和・平成を代表する映画人であったと思います。とくに大河ドラマ『徳川家康』において、その圧倒的な存在感、風格を示しておられましたね。いまでも深く記憶に残っています」
「日本を代表する文化人でもあり、日本の優れた文化を世界に発信すべきと、ずっと粘り強く主張しておられました。現在パリで開催されているジャポニスム2018、津川さんの存在無くして考えられなかったと思いますし、まさに津川さんの情熱で、この大きなイベントが開催するに至ったと思っています」
「広範な知識に基づく高い見識を持っておられ、そしてまた強い信念をもっておられました。拉致問題についても政府の取り組みについて、まさにボランティアとしてずっと協力していただきました。本当に残念です。心から御冥福をお祈りしたいと思います」
言っておくが、これは弔問に訪れた先での囲み取材でも何でもなく、首相官邸でおこなわれた、正式な総理大臣の会見である(事実、首相官邸のHPには「津川雅彦氏の逝去についての会見」というタイトルでこの会見の様子が動画で公開されている)。さらに、この会見でのコメントを自身のTwitterアカウントにも投稿。投稿が4つにまたがる長文となった。
そもそも、これまで安倍首相が総理大臣として「お悔やみ」のコメントを首相官邸HPで公表してきたのは、国内外の災害・テロ発生時や、海外の元首・首相、駐日大使経験者などの要人、国内の総理経験者の逝去時などだ。たとえば「昭和・平成を代表する映画人」だった高倉健氏が亡くなったときだって、こんなコメントを首相官邸では公表していないし、津川氏の少し後に亡くなった翁長雄志・沖縄県知事に対しても同様だ。
にもかかわらず、津川氏に特別待遇をしたのは、安倍首相も述べているように、安倍氏の「背中を押しつづけて」きた典型的な安倍応援団だったからだ。