『あさイチ』が伝えた部品直撃の保育園園児の母親たちの思い
番組では緑ケ丘保育園に子どもを通わせている保護者の一人である与那城千恵美さんに焦点を当て取材を行っていたが、そこから浮かび上がってきたのは被害者であるはずの“母親たち”を取り巻く複雑な状況だった。
普天間基地近くの自宅で夫と2人の子どもと暮らしている与那城さんは、落下事件の後、他の保護者とともに飛行禁止などを求める署名活動を行ったが、しかしその活動によって感じたのは、地元沖縄での“温度差”だったという。
事件について地元の人たちから出てきた言葉は“あきらめ”だったからだ。もちろん活動を応援する人も多かったというが、一方で、「こんだけ騒いでも変わらん」「何があっても変わらないし、『ああやっぱりな』というあきらめみたいなところもある」という声もあったのだ。
しかし、それは以前の与那城さんも同様だったという。与那城さんは普天間基地に近い自宅で生まれ育ち、ヘリの窓枠が落下した小学校に通っていた。つまり生まれたときから基地が“そこにあった”。その環境と心情についてこう語っている。
「(生まれたときから基地はあったから)自分で押し殺そうと思っているわけではなくて、(基地の存在が)気にならなくなる。無意識に。こんな日常化してしまうと」
しかも与那城さんの父親は長年基地内のレストランで働き、家族4人を養ってきた。
「父が働いているし、反対とかそういう意識もないし生活に密着している。生活の一部が基地」
さらに2012年、オスプレイが配備されることになり、県内で反対の大規模集会も行われるなか、米軍はそうした声を無視するように配備した。そのことも与那城さんから逆に“基地”を遠ざけたという。
「ショックとあきらめ。何を言っても沖縄って変わらないんだ。何も受け入れてもらえない」
こうして基地に対する疑問の声を押し殺していた与那城さんだったが、しかしそこで起きたのが保育園への落下事故だった。与那城さんはそれを“魔法が解けた”と表現している。いままで危険を気づかないよう“魔法”がかかっていたが、当事者となったことで魔法が解けた。気づいたらすごい危険な状態、場所に住んでいた、と。そして、与那城さんたちは落下事件を機に声をあげ、行動に移した。署名活動を開始し、集めた署名はなんと12万6000人にものぼった。
ただ、そんな母親たちを待っていたのは、政府のなんとも冷たい反応だった。署名を持って今年2月に保護者の代表が上京。事件の真相解明と保育園上空の飛行停止を求めたが、要望した担当大臣の面会はかなわず、対応した各省の担当者からは「引き続き米軍に強く申し入れる」「官邸に伝える」「米軍からの答えを待つ」と繰り返すだけ。そして落下事故の真相もわからないまま、今月にも部品落下の事故が起こっていたことが発覚しているのだ。