山口氏が自ら語っていた安倍首相と「取材者以上」の親しすぎる関係
たとえば、2016年12月にプーチン大統領が来日した際には、出演した『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)で山口氏は“安倍首相に大谷山荘へ2回連れていってもらった”“相当仲良くならないと連れていってもらえない”と大はしゃぎ。昨年2月の日米首脳会談でも山口氏はワイドショーに連日出演したときも、相変わらず“トランプとのゴルフ後に2度電話で安倍首相と話した”と語ったが、その中身は「ゴルフがすごく調子がよかった」「バーディをとったことを、たぶんその報告をしたくて(安倍首相が)電話してきた」というもの。御用ジャーナリストにゴルフのスコアの話を嬉々として報告する総理大臣も、それを「スクープ獲ったど」と言わんばかりにニヤニヤと語るジャーナリストも異常だが、こうした「安倍首相との距離の近さ」を売りにして、山口氏はテレビに引っぱりだことなったのだ。
また、前述した『総理』において、山口氏はこう書き綴っている。
〈初めて安倍氏と会ったのは小泉純一郎内閣の安倍官房副長官番、いわゆる「番記者」という立場の時であった。安倍氏と私は一回り違いの午年で、出会った当初からウマが合った。時には政策を議論し、時には政局を語り合い、時には山に登ったりゴルフに興じたりした〉
〈私は安倍晋三という政治家の栄光と挫折そして復活を、足掛け16年にわたって至近距離で見てきた〉
〈総理辞任後も、私は会食や登山、ハワイでの休暇など様々な機会で安倍と時をともにした〉
同書の記述では、山口氏はしょっちゅう東京・富ヶ谷にある安倍邸に招かれ雑談を交わしているだけでなく、たとえば中川昭一議員が急死した際には、〈息子の幼稚園の運動会を見に来ていた〉山口氏に安倍氏は「お通夜に行くんだけど、一緒に行かないか?」と電話。葬儀のときには、安倍氏が「さっきの弔辞、不自然じゃなかった?」とわざわざ山口氏に尋ねている。
さらに、2014年に安倍首相が解散を言い出す直前には、G20ブリスベン・サミットに同行していた山口氏を滞在先のホテルの部屋に電話で呼び出し、「これ、あさって衆議院を解散する時の会見原稿なんだけどさ、ちょっと聞いてみてよ」と頼むシーンも登場。このときのことを、山口氏は〈安倍は本番さながらに、私に向かって語りかけた。目の前で、現職の総理が解散を宣言している。私はまるで自分が、官邸1階の記者会見室にいるような錯覚にとらわれた〉と述懐している。
しかもその後、山口氏のもとには麻生太郎財務相から電話がかかってきて、安倍首相はこのように山口氏に述べるのだ。
「山ちゃん、ちょうどいいからさ、麻生さんが今何を考えているかちょっと聞いてきてよ」
解散を宣言するための原稿の推敲まで手伝わせるだけでなく、解散と増税問題に絡んで「腹を探ってこい」と命じる──。もはや安倍首相にとっての山口氏は、一介の記者というよりも「右腕」と表現したほうがいい密着度なのだ。