倉本聰がくり返し語ってきた、憲法9条への思い
「財界」(財界研究所)14年6月10日号では、ノーベル平和賞の候補に日本国憲法第9条が選ばれたというニュースを受け、〈よもや受賞とはなるまいが、候補となっただけでワクワクする。万一受賞したら、もっとワクワクする。今9条を見直そうとしているこの国の識者がどんな顔をし、どんな発言、どんな行動をとるかを想像してしまうからである〉と皮肉をまぶしながら、このように平和への祈りを綴っている。
〈戦争放棄を憲法がうたった1946年11月3日。放棄することが本当にできるならそれは夢のような嬉しいことだが、本当にそんなことができるのだろうかと半信半疑で僕らは目をみはった。だがそれからの70年近く僕らは奇蹟的にそれを成してしまった。その軌跡は将に世界が認め、まちがいなくそれを評価している。
もはや時代にとり残されているとか、そんな国は他にはどこにもないなどと、今をネガティブに思考するのではなく、先人たちが固守してきたように、それを誇りとし、絶対的な座標軸として不戦の記録を更新すべきである〉
安倍政権は、3年前に集団的自衛権の行使を可能にする安保法制を強行成立させ、現在も9条改憲も目論み、“戦争できる国”づくりを着々と進めてきた。それがどんな結果を生むのか。倉本氏は15年に出版された『昭和からの遺言』(双葉社)でも〈この国は集団的自衛権を認め 他国の為に斗う気だという 国のトップがそう云っている だが実際に国のトップは 先頭に立って斗うのだろうか〉と綴っていたが、『やすらぎの刻〜道』は倉本氏の危機意識と怒りが直接的に反映されるものになるだろう。戦争への忌避感がどんどんなくなっているいま、倉本氏はどのようなカウンターを放つのだろうか。
(編集部)
最終更新:2018.01.29 01:50