「これを報道した日本のテレビ局は、画像の切り取りをやりました。実際の映像を見ると、反対派が陣取っているのはほんの一角だけでした。ところが、日本のテレビ局は、その一角だけをクローズアップして放送しました。これは非常に汚い報道のやり方です」
しかし、この百田の発言に、フリージャーナリストの田中龍作氏が「私は現場にいた」と前置きし、「全方位から安倍さんへの批判は飛んでいた。百田さんは現場に行かれたんでしょうか?」と質問すると、百田は「行っていません」と返答。田中氏が「百田さんこそフェイクニュースじゃないですか」と反論したのだった。
だが、こうした「画像の切り取り」と同様に、報道の仕方を問題にする声はほかにもあがっている。お笑いコンビ・ロザンの宇治原史規は、4日放送の『ちちんぷいぷい』(毎日放送)で、こう語った。
「安倍さんの『こんな人たちに負けるわけにいかない』というところを切り取って、自分を非難する人たちを『こんな人たち』と呼んでいるという報道がよくなされているんですけど」
「(安倍首相は)演説を聞かずに妨害をするという人たちには『負けるわけにはいかない』という文脈だったと思うんですね」
そして、宇治原はこのような報道のされ方を「フェアじゃないなと思う」と主張したのだ。安倍首相が〈選挙妨害の左翼活動家〉だとする意見に「いいね!」していたことがわかったいまとなっては、宇治原の見立ては虚しいばかりである。
第一、宇治原の指摘は重要な前提が省かれている。演説カーに乗ってマイクを握り、大音量で言いたいことを言える総理大臣に対し、国民は自らの意思を示す方法が限られている。そうしたなかで、反対する意思を表した人びとに対して「こんな人たち」と言い捨てたことが問題なのだ。同時に、その根本には「自分に反対する者は国民ではない」という危険極まりない捉え方があることを指摘しなくては意味がない。
さらに、ここまで挙げてきたように、安倍首相をはじめ官邸や安倍応援団たちは「組織的活動家の犯行」と決め付けにかかっている。これは、沖縄の基地反対運動における「反対しているのは一般市民じゃない」というネトウヨたちが流しているデマや主張とまったく同じものだ。こうやって、権力にとって都合のいい国民を「一般市民」、反対する国民を「一般的じゃない市民」に分けることで、「弾圧してもいい人びと」という印象付けを図ろうとしているのはわかりきっている。
安倍政権に批判的なメディアは「言論テロ」とし、憲法に保障された正当な権利を行使し政権に反対の意志表示を行う国民を「左翼活動家」と非難する──。安倍首相が「いいね!」ボタンで宣言する危険な本質には、それこそもっと批判がくわえられるべきだろう。
(編集部)
最終更新:2017.12.05 02:04