治安維持法制定当時の法相も「一般人には及ばない」と
実際、1925年3月、当時の小川平吉司法相は貴族院で「無辜の市民まで及ぼすというごときことのないように十分研究考慮いたしました」と述べている(朝日新聞3月15日付)。
また治安維持法は、その前年に廃案となった過激社会運動取締法案(1922年)と異なり、すべての犯罪は「目的罪」であり、「国体若ハ政体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ」為される行為に処罰を限定するのであって、警察の権限濫用は大幅に抑えることができると説明された(平岡秀夫、海渡雄一・共著『新共謀罪の恐怖』緑風出版)。
まさに、この間の共謀罪法案の説明で、安倍首相が「一般の方々がテロ等準備罪の捜査の対象になることはない。テロ等準備罪は犯罪の主体を組織的犯罪集団に限定している」(5月8日衆院予算委)などと強弁し続けてきたのと酷似していると言わざるをえない。
しかも前述したように、その「一般人は対象にならない」との政府説明は、すでに明確な破綻をみせている。実際、金田法相は5月29日の参院本会議でも一般の市民運動が対象になりうると暴露していた。
「環境保護や人権保護を標榜していても、それが隠れみので、結びつきの基本的な目的が重大な犯罪を実行することにある団体と認められる場合は処罰されうる」
こうした「隠れみの」や「周辺者」という曖昧性、あるいは「認められる」という恣意的解釈が示すものこそ、共謀罪が「現代の治安維持法」たりうる証明に他なるまい。絶対に廃案とする。それ以外に歴史を繰り返さぬ手立てはないのだ。
(編集部)
最終更新:2017.12.04 04:18