「生前退位」の意味を封殺しようとした官邸、天皇の怒りは当然
だが、そもそもの話、毎日が報じた今上天皇の「怒り」は、この間の安倍政権の対応を振り返れば、至極当然としか言いようがない。その本質を捉えるために、いま一度、今上天皇の「生前退位」と「おことば」を見つめ直す必要がある。
今上天皇が温めていた生前退位について、宮内庁が安倍官邸に正面から伝えたのは、2015年の秋のことだったという。その時、当時の風岡典之宮内庁長官は、杉田和博官房副長官に「12月23日の陛下の誕生日会見で、お気持ちを表明していただこうと思っています」と伝えたと言われる。しかし、官邸は難色を示した。翌年には参院選が控え、首相の悲願である改憲のスケジュールなども考えると、天皇の退位問題を組み込む余裕はなかったためだ。安倍首相を始めとする保守系政治家たちには、「生前退位」によって天皇の地位や権威が揺らぐのではないかとの懸念もあった。
その後も、風岡長官と杉田官房副長官らは水面下で交渉を続けたが、官邸は一向に首を縦にふらない。天皇の周辺は焦燥感と危機感を募らせていた。そんななか、昨年7月13日夜、NHKが「天皇陛下『生前退位』の意向」を伝える。この時点で、「おきもち」を示す準備があることも断定的に報じられた。不意を突かれた官邸は激怒した。
だが、今上天皇が〈個人として〉語った8月8日のビデオメッセージは、「象徴天皇の務め」と「機能」を強調することで、大多数の国民に受け入れられた。
〈天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。〉
〈(前略)象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。〉(「おことば」ビデオメッセージより)
昭和史の研究で知られる保阪正康氏は、「おことば」を「平成の玉音放送」「天皇の人権宣言」と評した。明らかに今上天皇は、「象徴天皇」と自分という人間を区分しながら、国民に語りかけていた。
この退位の恒久的制度化には、本来、皇室典範の改正が必須だ。しかし、官邸は当初から、手続きに時間がかかり、日本会議などの保守系支持層の反発を免れない典範改正に否定的だった。また、天皇を「元首」に改めようとしている極右勢力から見て、今上天皇が望む「象徴天皇」の安定化は邪魔でしかなかった。官邸は「一代限りの特別法」へ向け、さまざまな策略を巡らせる。
まず9月には、風岡長官を事実上更迭。次長の山本信一郎氏を長官に繰り上げ、後任次長には警察官僚出身で内閣危機管理監の西村泰彦氏を充てるという“報復人事”を行なった。官邸の危機管理監から直に宮内庁入りするのは異例中の異例だが、これは、いま話題の前川喜平・前文部科学省事務次官に対するスキャンダル謀略でも名前のでてきた杉田和博官房副長官の差配だ。メディアコントロールに長けた警察官僚を宮内庁のナンバー2に送り込んだ官邸の意図は明らかだった。
首相が設置した有識者会議も、まさに露骨な“出来レース”だった。実際、座長代理の御厨貴・東大名誉教授は昨年末の東京新聞のインタビューで「十月の有識者会議発足の前後で、政府から特別法でという方針は出ていた。政府の会議に呼ばれることは、基本的にはその方向で議論を進めるのだと、個人的には思っていた」と、安倍政権の意向を叶えたと証言している。