どのような言葉で事件を報じ、伝えるか。そこには当然、報道側の覚悟が求められる。そんななかで地元である琉球朝日放送(QAB)は「墜落」という言葉を選んだのに、それをテレビ朝日が潰してしまったというのだ。これは事件を過小評価する“沖縄への冒涜”としか言いようがない。
QABの元アナウンサーであり、ディレクターとして東村・高江のヘリパッド建設工事に抵抗する住民の姿を追った『標的の村』や、映画『戦場ぬ止み』の監督で知られる三上智恵氏も、以前、こんなふうに“東京メディアの無関心”に言及していた。
それは、ヘリパッド建設に反対するために座り込み抗議を行った高江の住民たちを防衛省沖縄防衛局が「通行妨害」で訴えたスラップ(いやがらせ)訴訟で、2014年に最高裁が住民の上告を棄却したときのことだ。三上氏が「何よりも打ちのめされた」のは、「棄却された日に中央のマスコミはどこもニュースにしなかったということ」だったという。
「人権侵害だとか三権分立に違反している、スラップ裁判だなんて騒いでいるのはQABだけで、テレビ朝日も関心を示さない」(『日本の今を問う 沖縄・歴史・憲法』七つ森書館)
“中央メディア”の沖縄に対する無関心──。これはテレビだけではない。現に“リベラル寄り”のはずの朝日新聞も毎日新聞も同じだ。両紙とも米軍と政府、識者のコメントを織り交ぜて“不時着したのか墜落したのか、いまは判断できない”という記事を書いているが、それはたんなる逃げだ。「墜落ではないのか」と問い、徹底した事故原因の究明を求めること。それがメディアの役割ではないのか。
オスプレイはこれまで繰り返し安全面で危険性が訴えられてきた。そして、ついに国内でこれほどの重大事故を起こした。そんな状況にあっても大本営発表のまま、東京のメディアは伝えつづける。これはもう死んでいるも同然だ。
(水井多賀子)
最終更新:2016.12.15 07:22