同書が指摘するように、安倍晋三が「美しい国、日本」なる国家像のもと、本土決戦のための捨て石という悲劇の歴史まで塗りつぶそうとしたことは、沖縄にとって許せるものではなかった。著者はこう続けている。「その結果、十一万もの人が保守、革新の垣根をこえて集まったことを考えると、今は翁長と対立する安倍自身が『オール沖縄』のきっかけをつくったといえるかもしれない」。
そして、沖縄と日本政府の精神的溝が深まるなか、翁長氏にとって、民主党政権下の鳩山由起夫首相(当時)による「最低でも県外」発言も大きかったという。周知のとおり、この発言は1年足らずで撤回されることになったが、その際、世論調査で70パーセントもの日本人が基地を沖縄に置くことを賛成したのだ。その事実が、翁長氏の気持ちを押した。
「ぼくはこれを見たときに、あ、これはもう自民党とか民主党の問題ではないなと。オール本土で沖縄に基地を置けと、そういうメッセージだなと」
「それならば、私はオール沖縄でこれにノーと言わなければならんなと」(同書より)
沖縄は、日本政府や自民党、民主党政権からだけでなく「オール本土」、つまり「沖縄以外」のすべての国民から裏切られたのだ。
現在でも日米安保や集団的自衛権を認める立場にいる翁長氏が、新基地建設については政府と真っ向から対峙しているのは、おそらくは“政治家・翁長の変節”でも“二律背反”でもないのだろう。面積にして全体の74%もの在日米軍施設を沖縄に押しつけてきた日本政府、無関心な「沖縄以外」の人々、そして多発する在日米軍による事故や卑劣な犯罪……。この戦後日本の歴史そのものが、沖縄を追い込み、“翁長知事”を生み出したのではないか。
しかし、こうして積み重なった沖縄の叫びに対して、安倍首相は耳を傾けるどころか、暴力的なやり方で押さえ込もうとしている。政府は参院選投開票日の翌日、沖縄県東村高江の米軍北部訓練場のヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設工事を再開。機動隊を大量投入し、抗議をする市民たちを暴力的に排除しにかかっている。7月22日には、全国から集められた機動隊約500人が“非暴力”を掲げる市民たちを、カメラが回っていることさえ気にとめず引き倒し、首を絞め、殴りかかった。近日中にも抗議者たちの座り込みテントの強制排除が行われるとみられ、現地では緊張状態が続いている。この“暴力”としか言いようがないやり方が、安倍政権の沖縄の声に対する回答なのだ。
こうした沖縄イジメが平然と行われている現実に対して、本土のメディアや国民はほとんど気にとめていない。だが、その強権的な政権のやり方を許してしまえば、確実に「沖縄以外」にも跳ね返ってくる。
「この裁判は、単に今回の国の関与の是非のみが問われているだけではなく、地方自治の根幹、ひいては民主主義の根幹が問われている裁判でもあると思う」
法廷で翁長知事が訴えたこの言葉を私たち国民とメディアは肝に銘じるべきだろう。
(伊勢崎馨)
最終更新:2016.08.07 10:04