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安倍首相がまた「私は立法府の長」発言! たんなる言い間違いではない、三権分立を破壊する安倍政治の本質

 このような安倍首相をはじめとする政権から飛び出したトンデモ発言を検証した『これでいいのか!日本の民主主義 失言・名言から読み解く憲法』(榎澤幸広、奥田喜道、飯島滋明・編著/現代人文社)では、この「最高責任者は私です」発言について、〈最後は国民の審判を仰ぐのだから(民主主義)、何でも彼でも為し得るのか。そこには何ら限界はないのか〉と問題にする。

 そもそも、憲法は権力を縛るものとして存在する。つまり「俺が最高責任者だ」などと言って暴走する権力者に歯止めをかけているのだが、自民党の憲法改正草案はいわば「俺が最高責任者だ」化させる内容になっている。

〈自民党の改憲草案72条では、首相がリーダーシップを発揮し易いように、閣議に諮らないでも首相が単独で決定できる「専権事項」を増設しています。また、これまで政府見解として積み上げてきた、憲法の枠内で可能な自衛権行使の範囲や自衛隊の海外派遣のあり方の憲法解釈についても、集団的自衛権行使容認に好都合なように人事権を発動し、その下で政府見解を変え、その過程の記録は残すことなく閣議決定の結果のみ国民に知らせるということを、選挙で勝ったこと(民主的正統性)を根拠としてやってのけてしまうわけです〉

 さらに恐ろしいのは、昨年3月20日の国会で口にした「我が軍」発言だろう。言うまでもなくこの国に「軍」はないのだが、既報の通り、安倍首相は今年の防衛大学校での卒業式でも自衛隊を自分の“私兵”扱いまでしている。

 たしかに自衛隊の最高指揮官は総理大臣だが、かといって自衛隊を私兵扱いし、何でも思うままにできるわけではない。軍の暴走を防ぐ「文民統制」(シビリアン・コントロール)の下では、〈主権者である国民が最終的判断・決定権を持つという基本原則〉があり、軍事組織の構成員は情報を開示した上で〈国会(国民)の判断と決定を仰ぐ〉必要があるからだ。

 しかし、安倍政権は昨年9月に可決した防衛省設置法改正法案によって「文官統制」(自衛隊の運用にあたって内閣の補佐を文官=官僚が行うこと)を廃止。そのほか法制によって〈議会政治プロセスの抜き取り〉を行い、シビリアン・コントロールを弱めてしまった。中谷元防衛相は「(文官統制は戦前の)軍部暴走の反省とは思わない」と発言しているが、こうした認識で文民統制が軽んじられ、特定秘密保護法によって自衛隊の出動などの情報が隠蔽されれば、一体どうなるのか。国民を無視した総理直轄の「我が軍」になってしまうのではと不安になるのも当然の話だ。

 この防衛省設置法改正法や特定秘密保護法、安保法制の成立によって、次々にフリーハンドを得てきた安倍首相。そしてこれから突き進もうとしている憲法改正、なかでも改憲の入口と考えている緊急事態条項の新設が叶えば、三権分立は制限され内閣に権力が集中、事実上の独裁状態を可能にする。ある意味で「立法府の長」よりも強い権力をもつことができるのだ。

 夢にまでみた悲願の改憲が、手の届きそうなところまでやってきた。そうした現状に浮かれ、あらゆる権力は手中にあると図にのっているからこそ、立法府だろうが行政府だろうが知ったことではない、などと安倍首相は軽く考えているのではないか。

 気分はもう独裁者──今回の「私は立法府の長」や過去の発言を振り返ると、そう思えてくるのだ。
(水井多賀子)

最終更新:2016.05.19 07:17

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