次のパターンは、打ち切りだ。打ち切り作品というのは歴史上振り返ってみればそれこそ無数に存在する。ただ、その膨大な打ち切り作品のなかでも、作品中で自ら「打ち切り」であることを明言してしまうパンクな作品が存在する。本稿ではそちらをご紹介したい。
その作品は、辛辣なギャグやパロディを持ち味とする木多康昭が描いた『泣くようぐいす』(講談社)である。高校野球をテーマに奔放なギャグを展開していた本作。しかし、連載していた「週刊少年マガジン」編集部側から打ち切りを言い渡されると、そこから一気にシリアスな物語へ変化。新たなライバルの登場など伏線を張り巡らせた。しかし、当然その伏線など回収できるわけもない。そして最終話では、それまでの伏線がすべて夢であったことにし、「夢オチ」で物語を終了させたのだ。いきなり伏線をつくったのは、作者からの皮肉だったのである。そして物語はこんな言葉で幕をおろす。
「全部夢だったってことかよ!!」
「しょ しょうがないだろ 打ち切りなんだから」
「「打ち切り」「打ち切り」って何度も言うな!! こっちは気にしてるんだから ぶっとばすぞこのヤロー!!」
これはこれで壮大なギャグとして成立しているような気がするあっぱれなラストである。
そして最後に取り上げたいのが、作者のモチベーションが下がってしまい、投げやりなラストを迎えてしまったパターンだ。まずは、あの『ルパン三世』である。1977年、テレビアニメ放送に合わせて新たに連載が始まった『新ルパン三世』(双葉社)の最終話は、ルパンらしからぬ最後であった。
タイムマシンがあるという島へ向かったルパン一行。しかし、それは銭形警部による罠であった。島には島ごと吹き飛ばせるほどの爆薬が仕掛けられており、島に閉じ込められたルパンたちは崖っぷちに立たされる。本来であれば、天才的な機転を利かせてそのピンチを脱するのだが、ここでのルパンはなぜかあっさりと諦めてしまう。結果、島ごと爆破されてしまい、ルパン一行の死で物語は幕をおろす。
ルパンらしくない、どこか投げやりな印象すら感じるラストだが、この時期のモンキー・パンチはルパンを描き続けることに飽きていたという逸話もあり、そのあたりがこの結末につながっているのかもしれない。実際、この最終話のなかでも「タイムマシンが手に入ったら何がしたいか?」という話をするなかで、石川五ェ門は「自分の生まれる前に行って母親に会い、俺を生まないでくれと頼む」といった答えを返している。このセリフには、当時のモンキー・パンチの隠された本音が出ているようにどうしても読めてしまう。