「私の特に強調いたさんとするものは、われら一億国民に一貫して流るる必勝の信念であります、大東亜戦争の勝利獲得の確信であります、申すまでもなく戦争はひっきょう意志と意志との戦いであります」(1944年1月21日、東条総理施策方針演説)
ようするに“苦境に瀕しているが精神でなんとかしろ”というアジテーションだ。そして、やはり安倍首相も同様に“強い「意志」で苦難を乗り越えよ”と号令をかけている。
「今の日本が直面している数々の課題。復興の加速化、長引くデフレからの脱却、経済の再生、財政の再建、社会保障制度の改革、教育の再生、災害に強く安全・安心な社会の構築、地域の活性化、そして、外交・安全保障政策の立て直し。これらも、『意志の力』さえあれば、必ず、乗り越えることができる。私は、そう確信しています」(2013年10月15日、安倍総理所信表明演説)
「やれば、できる。人口減少や超高齢化など、地方が直面する構造的な課題は深刻です。しかし、若者が、将来に夢や希望を抱き、その場所でチャレンジしたいと願う。そうした『若者』こそが、危機に歯止めをかける鍵であると、私は確信しています」(2014年9月29日、安倍総理所信表明演説)
「意志の力さえあれば」「やればできる」などという空虚な精神論は、一国の宰相として無能であることをさらけだすようなものである。しかし、これを自信満々で述べてしまうところが、まさに安倍氏の本質を表しているとも言えよう。
そして、こうして両者の演説を比較してみると、やはり安倍晋三と東条英機はそっくりと言わざるを得ない。安倍首相が一貫してA級戦犯を擁護し続けてきたのも、自分と似ているからじゃないのか、と考えたくなるほどだ。
しかも、この類似性が恐ろしいのは、たんに個人の考え方や口癖ではとどまらないことだ。
前出の「サンデー毎日」の座談記事で保阪氏と半藤氏は、戦前・戦中日本と安倍政権下で進行していることを重ね合わせて、こう警鐘を鳴らしている。
「昭和18年1月1日、首相官邸で東條は『朝日新聞』朝刊で中野正剛の「戦時宰相論」を読んだ。戦時の宰相は強くあれと、東條を煽るようなことが書かれていた。東條は激高する。そして司法大臣に電話をかけ、中野の逮捕を命じる。しかし法的に該当する罪科がないため、中野は釈放される。すると東條お抱えの憲兵隊長である四方諒二が中野を脅す。中野は自殺してしまった。僕が許せないのは、内閣総理大臣が不愉快だからといって、司法大臣に逮捕を命じるというやり口です。資料によっては、命じたのは逮捕ではなく事情聴取だと書かれているものもあるが、いずれにせよ、いかに戦時下であれ、内閣総理大臣が司法大臣にそんなことを命じる権利などありはしない。行政が立法、司法と直結してしまったんです。さらに東條は、中野を釈放した判事たちまで懲罰召集した。こんなことが許されるものか。しかし安倍首相はやりかねない人物です」(保阪氏)