しかし、今回の「MEKURU」インタビューを読むと、その謎が解けた。というのも、周防氏がいかに小泉今日子を可愛がっているかがよくわかるからだ。
インタビューのなかで、周防氏はまず小泉今日子と初めて会ったときの印象をこう語る。
〈会った瞬間に『ああ、すごいな』って思ったんですよ。アゴがとがってるところがすごく良いし、目力と言うのかな……目が違ったの。僕はいつもね、タレントさんを自分の事務所でマネージメントするかどうかって、初めて会った瞬間にポーンと決めちゃうんだよ。僕にとっては、今日子は本当に言うことなかったです。『やった〜』っていう気持ちだったね〉
会った瞬間に小泉今日子に惚れ込んだ周防氏は、彼女を『寺内貫太郎一家』『時間ですよ』『ムー一族』(すべてTBS)といった人気ドラマを手がけた演出家の久世光彦と引き合わせる。小泉にとって久世は〈演技もお行儀も文章を書くことも全部私に教えてくれた人だった〉(『小泉今日子書評集』中央公論新社)と語るほどの存在で、1983年に久世演出作品『あとは寝るだけ』(テレビ朝日系)に出演して以降、本人が〈恩師と言える唯一の存在〉と評するほどの関係となる。
〈今日子は初めて会ったときから一味違う子だったからね。“久世は絶対、今日子にピッタリだなあ。これは早めに会わせにゃいかん”っていう、僕の直感だったんです〉
〈ただね、何回か僕は久世と揉めたんです。僕を通さずに今日子と仕事を進めるから、『おまえ、いい加減にしろ、コノヤロー』って大喧嘩したこともあって(笑)。先輩の田邊さん(田邊昭知/田辺エージェンシー代表取締役社長)が間に入って僕の前で久世のことを怒ってくれたから、丸く収まったんだけど。『その仕事をやるのはいいけどさぁ、俺に一言話をすればいいじゃないか。そのたった一言ができないのがおまえの悪いとこだよ』なんて言ったりしてね(笑)〉
周防氏と久世氏のトラブルを収めたのが、SMAP解散騒動でも名前の出た田邊昭知氏だったというのは興味深いがそれはともかく、このエピソードひとつとっても、小泉が周防社長にとって、特別な存在だったことがよくわかる。
というのも、事務所を通さないで仕事を進めるというのは芸能界においてもっとも重大なルール違反であり、その後の取引を一切中止してもおかしくないトラブルだからだ。とくに“所属事務所への裏切り、造反は許さない”という姿勢を貫く周防氏にとっては、絶対に許せない問題だったはずだ。普通なら小泉も久世も芸能界から追放されていてもおかしくない話だが、しかし、そうしないほど周防氏は小泉を宝のように特別に扱っていたのだろう。そしてその後も、『花嫁人形は眠らない』(TBS系)、『センセイの鞄』(WOWOW)と、小泉は定期的に久世演出作品に出演することになる。