しかも、第4条の〈政治的に公平である〉というのはイコール、政府の政策について賛成反対を同じバランスで紹介するということではない。
「両論併記こそが公平中立だ」というこうした主張は、「視聴者の会」だけでなく、ネットやメディア関係者の間でも口にする人が多いが、そこには、政府と国民の間にある情報の発信量の差、政策に関する情報はもっぱら行政の側だけが発信、コントロールできるという認識がすっぽり抜け落ちている。
実は、日々、メディアで報道されているストレートニュースのほとんどは発表報道、つまり権力が自分たちに都合よく編集したプロパガンダ情報なのだ。これがただタレ流されるだけになれば、政策や法案にどんな問題点があっても、国民には知らされず、政府の意のままに世論がコントロールされてしまうことになりかねない。
「表現の自由」の研究で知られる憲法学の権威、故・奥平康弘東京大学名誉教授は、国民主権を保障し、国民が国政に参加するためには「表現の自由」とそれが内包する「知る権利」が不可欠であるとした上で、こう述べている。
〈知る権利は、現代国家における行政権優位の現象に、国民の側がかろうじてバランスをとるため不可欠な防禦策として登場したのである。知る権利がなければ、国民はただやみくもに巨大な権力に支配されるままになるであろう。〉(『知る権利』岩波書店、1979)
そう。だからこそ、国民の「知る権利」を守るために、メディアは政策、政府の流す情報を監視し、その問題点を指摘する必要があるのだ。発表報道の膨大な量を考えれば、スタジオ解説で政府の政策の問題点を徹底的にチェック、批判し、反対意見を重点的に紹介して、ようやく政治的公平が担保されるといってもいい。
安保法制も同じだ。国会や政府の動きを伝えるニュースのほとんどは、政権側の立場に立って編集し、政府の主張をそのまま流すものだった。さらに、南シナ海での中国軍の活動や自衛隊機のスクランブル発進など、間接的に「安保法制の必要性」を示唆する発表報道も次々流され、これらを含めれば、賛成意見の放送時間が圧倒的に多かったといえるだろう。
そんな中で、『NEWS 23』や『報道ステーション』は放送法違反どころか、キャスターやコメンテーターが安保法制の問題点を指摘し、反対デモを取り上げることで、政治的公平を担保し、国民の知る権利を守ろうとしていた数少ない番組だったのだ。