だが『NNNドキュメント』が映し出したのは、明らかな日本兵による中国人捕虜虐殺の事実だった。
まず番組が焦点を当てるのが福島県在住の小野賢二さんだ。小野さんは28年の長きにわたって南京事件を調査している。これまで200人以上の元日本兵の証言を聞いており、保管する彼らが残した日記はコピーを含めると31冊にものぼるという。
そのなかのひとつに「支那事変日記帳」というタイトルがつけられた日誌がある。陸軍歩兵第65聯隊と行動を共にした、山砲兵第19聯隊所属の上等兵の遺品で、昭和12年9月から南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれている。そこには、ごく普通の農民だった男性が、妊娠中の妻を残して中国へ向かう様子から、民間人から物資を奪い、銃口を向ける様などが記述されていた。以下、カナ遣いなどを現代に改めて引用しよう。
〈10月3日午後6時ごろ、いよいよ上陸して支那の地を踏んだ。空襲となり我が優軍の打ち出す高射砲機関銃は火花を散らし、これが本当の戦争かと思った〉
〈11月16日、食料の補給は全然なく、支那人家屋より南京米、その他の者を徴発して一命を繋ぎ、前進す〉
〈11月17日、「ニャー」(注:中国人女性)を一人連れてきたところ、我らの目を盗んで逃げたので、ただちに小銃を発射し、射殺してしまう〉
〈11月25日、実に戦争なんて面白い。酒の好きなもの、思う存分呑む事ができる〉
そして12月、南京に迫った日本軍は、城塞を完全包囲する作戦にでる。13日、南京陥落。上等兵たちの部隊は、武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵を捕虜にする。
〈12月14日、途中、敗残兵を千八百名以上捕虜にし、その他たくさんの正規兵で、合計五千名の敗残兵を捕虜にした〉
捕虜はその後1万人を超えたという。そして、上等兵の日記には、国際法で禁じられていたはずの“捕虜殺害”の模様が、克明に記されていた。
〈12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す〉
〈その後、銃剣にて思う存分に突刺す〉
〈自分もこのときばかりと支那兵を三十人も突き刺したことであろう〉
〈山となっている死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひがん勇気が出て力いっぱいに突刺したり〉
〈うーんうーんとうめく支那兵の声。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた〉
番組では、小野さんが1994年、この上等兵にインタビューしたときの映像も放映された。彼ははっきりとした口調で、こう語っていた。