保阪氏はこれを「形容句」「立論不足」「耳学問」と言っている。安倍首相の答弁の枠組みは、当時の軍事指導者のそれそのものだとも。なかでもひどいのが「耳学問」による半可通の歴史観だ。なにより事実に基づき歴史を記録することを旨としている保阪氏からすると、これは耐え難い歴史への冒涜だという。
〈安倍首相の歴史観はもともとかなりあやふやな論にもとづいている。すでにメディアにも紹介されているのだが、たとえば「侵略には学問上の定義はない」と言ってみたり、「首相として国のために生命を捨てた人を追悼するのはあたりまえ」と開き直ったり、はては平気で「わが軍は…」と弁じたりもする。はなはだしい例では、アメリカは原爆投下したあとに、さあこれを受け入れろと言ってポツダム宣言をわれわれの国に押し付けた、など歴史的事実の基本をまったく理解していない発言を平然と行ったりもしている〉
〈首相の歴史観を耳にしていると、戦後民主主義をどのように捉えているのだろうかと疑問を覚える。保守でも革新でもいいが、例えば自民党の先達たちがいかに呻吟しながら戦後社会を作り上げてきたか、それを思う知的関心、畏敬の念を示す礼節、さらには先達の歩んだ道を点検しつつ教訓を汲み取っていく姿勢、それらに欠けているといっていいのではないか〉
〈ここで私は、現憲法を作成するために当時の政治指導者がどのような努力を払ったか、単に占領憲法というだけでは彼らを侮辱していないかと指摘しておきたい〉
安倍政権ほど、かつて自民党の重鎮とも呼ばれた先輩OBたちから批判されている政権はないのではないか。
こうした歴史観の欠如や立論不足から、国会での審議がかつて例のないほどまったく論戦の体をなさないまま、惨憺たる状況で続いているというのである。特定秘密保護法については「とにかく国の秘密は守らなければならない」、安保法案については「とにかく日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのだからやらなければならない」と、プロセスや道程をすっ飛ばして、結論のみが声高に語られるのが、この政権の、そしてこの安倍首相の特徴なのだ。
基本的な勉強ができていない。そのうえ理念も信念もない。支持者や周囲に言われただけで、すぐに前言を翻す。そんな政治家がリーダーとして戦後日本が伝統的に守ってきた安全保障政策を根底から覆そうとしていることの恐ろしさを、我々もいま一度、しっかり認識する必要がありそうだ。
(野尻民夫)
最終更新:2015.08.14 07:29