狂犬病をなくすため、空襲で犬が暴れる危険を防ぐため、そして軍需用の毛皮の確保のため、犬を国に供出しろ──。こうして多くの一般家庭では、ペットとして飼っていた犬を手放さざるをえなくなった。
毛皮にするために家族同然の犬を国に渡さなくてはいけない、そのつらさとはどれほどのものであったか。前出の『犬やねこが消えた』では、そうした飼い主たちの苦しみが当事者の言葉で語られている。
1944(昭和19)年の6月、学校帰りに泥にまみれた子犬を拾ったある少女。やせ細ったその子犬を「クロ」と名付け、人間が食事を摂ることもたいへんな時期だったにもかかわらず、少女は子犬を一生懸命育てた。そんなとき、「供出」が命じられる。
供出の前日、少女とその母は、おからを混ぜた雑炊にたっぷりのかつお節粉をまぶし、いつもより倍のごはんをクロに食べさせた。そして、いままで行ったことがない場所まで散歩に出かけた。そこでクロを放せば、明日、警察に連れて行く必要もない。そう考えたのだ。でも、くさりを外しても、クロは少女のもとから離れようとしなかった。
翌日、クロは供出される。クロはその道すがら、何度も電柱におしっこをひっかけた。匂いづけをしても、もうそこには戻れないのに──。この少女時代の体験を語った女性は、〈六十年以上たった今でも、(中略)手のひらには、クロのひげの、こそばゆい感触が残っている〉という。
飼い犬を供出しなくてはいけなかった人びとの苦しみ、悲しさもさることながら、犬が供出されたあとの業務を担った人の証言は、さらに重い。
1945(昭和20)年、北海道に住んでいた当時15歳だったある少年は、友人から「いい仕事がある」と誘われた。向かった先で、少年は〈国民服に戦闘帽の、こわい顔をした男性〉に「これからおまえたちには、お国のため、軍隊のために働いてもらう」と言われ、一本の丸太棒を手渡されたという。
「大事な資源なので、そまつにあつかってはならない。毛皮に傷がつかないように、一発で殺せ」
その場所には、次々に犬や猫、うさぎを連れた人びとが集まってきた。〈うつむいてすすり泣いている女の人〉や〈ねこを抱きしめている女の子〉……人びとは動物を供出するためにやってきたのだ。少年は、〈力いっぱい棒をふりあげ〉たという。