また、著者の太田氏は、中居のMCにタモリとの類似性を挙げる。それは、こんな中居の発言に顕著なのだという。
「感情を安定させていたい。それは喜怒哀楽を出さないとか感情を押し殺すとかいう意味ではなくて、いつでも相手の言葉を引き出したり、人の気持ちを受け入れたりできるということ」(「AERA」2013年9月16日号インタビューより)
タモリのMC術は、場を仕切るのではなく〈出演者たちが作るその場の流れを感じ取り、それにうまく身を委ねる〉点にある。この〈仕切らない仕切り〉で重要になってくるのが、出演者をよく観察すること。じつは中居も、〈プライベートでごはんを食べに行くときでもだいたい端に席を取る。人を背にするのがイヤなので、壁があれば壁を背にする。SMAPのトークのときも、自分が仕切るときは四人が見えるように端に行く〉といったように、〈相手の言葉や気持ちをしっかり引き出す〉ための言動を心がけているのだ。
しかも、中居はああ見えて(失礼)、勉強家・努力家の一面がある。中居は手書きのノートをつけ、気になる言葉や文章などを記録しているが、〈「書くことは記録というより、書く意識を持つこと、書く習慣をつけることによって、こんなものの考え方があるのかを知ることになって」いる〉のだという。しかも、〈だから「時々ノートを読み返して、自分の考えがすごく偏っているなぁと思えるとき」には、ノートを「思いきって捨ててしまう」こともある〉とさえいう。太田氏はこのノートの存在を、〈自分の殻に閉じこもるためではない。逆である。むしろ周囲の世界に常にオープンであるためなのである〉と分析している。
この指摘は、コメンテーターとしての中居のことを思い出すと、とても腑に落ちるものだ。以前、本サイトでも記事にしたが、『ワイドナショー』(フジテレビ系)で日韓関係の悪化がテーマになったとき、司会の東野幸治やコメンテーターの松本人志が当たり障りのないコメントをつづけるなか、中居はたったひとり、「謝るところは謝ればいいんじゃないですか?」「お話すればいいのにね。韓国も日本と仲良くしたほうがいいと思いますよ」と、毅然と自分の意見を言葉にした。あきらかにスタジオの空気は“面倒臭いことを言うなよ”というものだったが、きっと中居は、普段から考えてきたことをもとに、広い視野から自分なりの客観性を保とうとしたのではないか。これは場の空気を読む芸人たちとは大きく異なる点であり、日頃の“考える練習”の成果ではないだろうか。