まずは現在の最高裁の姿勢だ。最高裁はこれまでも憲法判断を回避する傾向にあった。自衛隊の合憲性を争ういくつかの裁判でも現在まで最高裁判例は存在しない。また一票の格差にしても世論からの批判を受け、政治家たちの顔色を窺いながらしぶしぶ判断した、といったものだった。最高裁判事とはいえ、政治、そして組織や人事から決して自由ではないからだ。
そうした判事たちの実態を指摘した『絶望の裁判所』(瀬木比呂志/講談社現代新書)によると、絶望の判事は最高裁も例外ではない。
「キャリアシステムの中で最高裁判事になる人々は、ごくわずかな例外を除き、多かれ少なかれ、他人を踏み付け、なりふり構わず上をめざすことでのし上がってきた人々であり、裁判官本来のあるべき姿からは遠い行いをしてきた例が多い」
「社会が変化しているほど最高裁は変化しておらず、ことに統治と支配の根幹に触れるような事柄においては微動だにしていないし、全体としても、せいぜい多少の微調整を行っているにすぎないというほうが正しい」
本書ではさらに「日本に本当の意味での憲法判例があるかといえるかどうかさえ疑問」とさえ指摘しているのだ。
しかも、現在の違憲審査制は具体的争点となる事件が起きたとき、今回でいえば実際に集団的自衛権が行使されたときにしか行われることはない。現在の閣議決定だけでは違憲審査を行うことはないのである。
また最高裁が違憲と判断しても、唯一の立法機関である国会が動かない限り事態は変わらない。実際、一票の格差問題でも、裁判所の違憲判断にも関わらず、定数削減など改善のための動きが一向に進まないことでも明らかだ。
だからこそ安倍政権を、安保法制を、今止めなければ、転がるように日本は戦争への道に向かっていくだろう。安保法制は衆院を通過したが、ここで諦めるわけにはいかないのだ。
(伊勢崎馨)
最終更新:2015.07.25 07:29