安倍首相が“もう一人の祖父”に触れない理由とは?(首相官邸ホームページより)
安倍晋三首相が母方の祖父である岸信介を敬愛、心酔し、その祖父を追いかける形で、「戦争ができる国づくり」にひた走っていることはもはや知らない者はいない有名な話だ。4月29日、米議会で行った演説の際も、安倍首相は冒頭に岸の言葉を引用し、“おじいちゃんコンプレックス”を全世界に開陳した。
しかし、その過剰とも思える岸への思い入れの一方で、安倍が“もう一人の祖父”について口にすることはほとんどない。父方の祖父・安倍寛。岸と同時代に生きた政治家だ。しかし晋三は、インタビューや周辺の証言からは意図的にその存在を拒否している感じさえする。
なぜか? その理由が解き明かされているのが「週刊ポスト」(小学館)5月22日号で始まった、政治ジャーナリスト・野上忠興による連載「安倍晋三『沈黙の仮面』」だ。野上は安倍首相の父・晋太郎の番記者を長く務めた人物で、連載はその息子・晋三の生い立ちを追い、さらに岸家と安倍家という2つの政治血脈を辿るものだが、その第1回目に安倍家の地元後援者のこんな証言が掲載されている。
「確かに晋三さんは岸さんの血を継いどるが、安倍家のおじいちゃんは寛さんで、戦時中に東条英機に反対して非推薦を貫いた偉い人じゃった。それをいいたいが、晋三さんと話をしても岸、岸というんでね」
そう。安倍首相の祖父・寛は岸とは政治的にも思想的にも正反対の人物だったのだ。
「岸が東条内閣で商工大臣を務めて戦中から権力の中枢を歩いていたのに対し、寛は東条英機の戦争方針に反対し、戦時中の総選挙では『大政翼賛会非推薦』で当選した反骨の政治家として知られる」
A級戦犯容疑者として収監され、数々の政治資金疑惑が取り沙汰された岸に対し、寛は戦争に反対し「昭和の吉田松陰」とまで呼ばれた清廉で反骨の政治家だった──。その反骨ぶりは6人の安倍ファミリーを描いた『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』(松田賢弥/講談社)にも詳しく描かれている。同書によれば、安倍晋三の父・晋太郎が毎日新聞(1985年4月6日付)にこんな回想記を寄稿している。
「父(寛)は大政党を敵にまわし、その金権腐敗を糾弾し、始終一貫、戦争にも反対を続けた。軍部ににらまれ、昭和十七年の翼賛選挙では、非推薦で戦った。当選を果たしたものの、あらゆる妨害を受けた。私(晋太郎)も執拗な警察の尋問をうけた」(毎日新聞に晋太郎が寄稿した文章から抜粋)