首相官邸HPより
「自民党が変わることを示す、もっともわかりやすい最初の一歩は、私が身を引くことであります」
8月14日、岸田文雄首相が唐突に9月の自民党総裁選への不出馬表明をおこなった。会見で岸田首相は不出馬を決めた理由として裏金事件を挙げ、「組織の長として責任を取ることにいささかの躊躇もない」と語ったうえで「私が身を引くことでけじめをつけ、総裁選に向かいたい」「オール自民党でドリームチームをつくり、信頼回復に取り組んでもらいたい」と述べた。
あまりの無責任さにあ然とするほかないだろう。岸田首相は派閥の解消や政治資金規正法改正を自身の手柄として挙げていたが、裏金事件では森喜朗元首相の証人喚問もやらず、改正規正法を骨抜きにしてしまった。「責任を取る」というのであれば裏金事件の真相究明を果たすのが筋だが、そこから遁走しておいて、何が「けじめ」だ。
しかも、岸田首相が不出馬表明をおこなったのは、終戦記念日の前日。ようするに、戦没者の追悼や平和の祈念といった厳かに迎えるべき記念日のことなど歯牙にもかけず、盆明けの出馬表明がはじまる前に政局を仕掛けるという行動に出たのだ。あまりに軽薄としか言いようがない。
いや、「無責任」「軽薄」であることよりも指摘しなければならないのは、岸田政権がいかに平和国家としてのこの国のかたちをぶち壊してきたか、という問題についてだ。
安倍政権は集団的自衛権の行使容認をはじめ「戦争ができる国づくり」を進めたが、安倍晋三元首相の死後も、岸田首相はまるで安倍氏が乗り移ったかのように防衛費倍増や敵基地攻撃能力の保有など、かつてない軍拡を推進。さらに今年は、殺傷能力のある武器輸出を禁じる原則を転換し、戦闘機の第三国への輸出を閣議決定で容認してしまった。つまり、安倍元首相でさえできなかったことを、岸田首相は実現してしまったのだ。
ところが、メディアはこうした岸田政権の検証をすっ飛ばし、身勝手な岸田首相の不出馬表明を批判することもなく、さっそく「次の総裁は誰か」という報道に突入。岸田首相と自民党の目論見どおり、岸田首相の総裁選不出馬をもってこれまでの不祥事をすべて水に流して「自民党が変わる」という期待感をメディアが煽る……という流れが完全にできあがってしまったのだ。