さらに、ひどかったのは「週刊文春」だ。もともと「週刊文春」はたかじんの死の直後にたかじんの妻をめぐる疑惑を他メディアにさきがけ報じており、『殉愛』発売の少し前にもたかじんの長女の手記を掲載する予定だった。だが、校了直前に当時『殉愛』を執筆するためにたかじんの妻を取材中だった百田氏が電話で新谷編集長に記事を中止するよう申し入れると、新谷編集長はあっさり承諾。記事掲載は見送られ、さらに『殉愛』発売後にさまざまな嘘や問題が発覚しても一切記事にしようとせず、逆に2014年12月18日号に百田氏の手記を掲載。翌2015年からは百田氏の連載小説「幻庵」を予定通りスタートさせたのだ。
だが、もっととんでもなかったのが、石原慎太郎のケースだろう。
それは2006年に東京都知事だった石原慎太郎に四男の“縁故重用”疑惑が浮上したときのことだ。石原氏の四男・延啓氏は無名の画家だったが、石原氏は自らの職権で都の若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト」に助言する芸術家として都の外部委員に抜擢。「ワンダーサイト」への補助金を4年間で4億7000万円と以前の8倍以上に増やしていた事実が発覚した。さらに2003年3月には、延啓氏が都の職員とともに訪欧した際に費用55万円を都が全額負担したことや、他の数々の公費による出張も複数のマスコミ報道から判明していった。そのため石原氏は「息子可愛さに血税を湯水のように使う公私混同」と大きな批判に晒されたのだ。
しかし、このときも「週刊文春」だけは石原氏の疑惑を一切報じることはなかった。いや、報じないどころか渦中の石原氏をインタビューに登場させ(2007年1月4・11合併号)、「(疑惑報道は)選挙のためのネガティブ・キャンペーンだ」などというなんの説得力もない釈明を延々と垂れ流させたのだった。これも石原氏が当時、都知事だったことが原因ではなく、石原氏が大物作家であり、しかも当時、文藝春秋が主催する芥川賞選考委員だったことが大きかった。
相手は政治家だというのに、懇意の作家だというだけでスキャンダルを追及できなくなる──。そういう意味では、瑠麗氏のケースも同様で問題は深刻だ。政治の問題とはまったく関係のないエンタテインメントの作家ならいざ知らず、瑠麗氏は政治について活発に発言をおこない、さらには政府の有識者会議で委員を務めるなど直接政治にコミットしてきた。そうした人物の疑惑を、「懇意の作家だから」という理由で追及せず、沈黙を守ることは、ジャーナリズムの放棄ではないか。
この体たらくで、「タブーなき週刊誌」などと言えるものなのか。「週刊文春」と「週刊新潮」はよく考えたほうがいいだろう。
(編集部)
最終更新:2023.03.14 12:23