しかも、情けないのは他社の記者たちだ。このあと、ワクチン接種について質問した記者は「できれば知事のお考えと、メリット・デメリット、どういうふうに進めたらいいのか(を聞きたい)」と述べたのだが、ここでも吉村知事は「記者クラブで毎日新聞と調整してもらえますか? 僕、発信できなくなる。そう言われると」と発言。すると、また別の記者が「知事の考えは聞きたいです」と言い出したのだ。
挙げ句、そのあとも吉村知事のあてこすりはつづき、「部局が『公式見解と違います』って言われたら、僕は違ったことを言ってることになるんですかね?」などと毎日新聞の記者にネチネチと絡み、それでも毎日新聞の記者が「そこを明確にわかるようにおっしゃっていただければ」と毅然と答えると、吉村知事は「何でそこまで指導されないといけないのかわかりません」と半笑いで切り捨て、こう言った。
「知事としての考え方を言うときに、部局がまだ組織として形成されていない意見でも、知事としてこう考えるというのは当然あり得る話で、毎日新聞のやり方でいったらもう、この知事会見、いらなくなると思う。うん」
自分がテレビで広めた「高齢者と若い世代の生活圏が非常に近いんじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃいます」という発言について、根拠も示さずただごまかすだけで、挙げ句の果てには「(質問に答えるのは)やめる」「知事会見はいらなくなる」と言い、自分の正当化のために記者を孤立・分断しようと追い込む──。卑劣としか言いようがないだろう。
そして、この吉村知事のやり口は橋下徹とそっくりだ。実際、『誰が「橋下徹」をつくったか─大阪都構想とメディアの迷走』(140B)の著者である松本創氏は、こう指摘している。
〈この問答見て思い出した。2013年、橋下市長の「従軍慰安婦」発言。新聞報道に責任転嫁する橋下氏に、記者が言葉や表現の不用意さを指摘したところ、「じゃあ囲み全部やめましょうか」と激昂。「一言一句全部チェックしろと言うんだったらやめます」と打ち切りを宣言した。対応の仕方が似ている。〉
〈まあ結局、囲み取材が取りやめになることはなく、週明けの月曜日からまた普通に行われたんだけど。なんで理不尽にも報道のせいにされたことに抗議もせず、またいそいそと彼の「お言葉」を拝聴しに行くかね…と強烈な違和感を覚えたのが、だれはし取材の原点。〉
テレビでの無根拠かつ無責任な発言を見逃さず、怯まず追及をおこなった毎日新聞の記者は、当然ながらジャーナリストの責務を果たしたと言える。一方、責務を果たそうとする記者に加勢するどころか、吉村知事の放言を看過し、「知事の考えは聞きたいです」などと尻尾を振る記者たちの姿の情けなさ、醜さはどうだ。あらためて、大阪の悲惨な現状の背景には、吉村知事の共犯者たる在阪メディアの罪があると言わざるを得ないだろう。
(編集部)
最終更新:2022.02.27 05:21