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松本人志、太田光、カズレーザーが五輪演出問題で容姿差別ネタを守る姑息コメント! 一方、渡辺直美は堂々とルッキズム批判 

 お笑い芸人の反応で、もうひとつ多かったのが、自分たちがバラエティでやっている“容姿いじり”を持ち出し、「お笑い芸人は容姿をいじられるのを納得しているからかまわない」「共演者同士の信頼関係があってのこと」「愛のあるいじりだからいい」「プロの技術があっていじっている」「いじられて感謝している」などと、弁護するパターンだった。

 しかし、これも完全に「何を言っているのか」という話だろう。そもそも、「お笑い芸人はいじられることに同意している」「信頼関係がある」などというが、実際は、パワハラやセクハラがそうであるように、大物芸人やテレビ局との力関係でNOと言えないだけ、というケースも少なくない。

 また、仮に本人が同意していたとしても、五輪のような公の場で容姿差別をやっていいはずがない。

 いや、その罪はテレビのバラエティでも同じだ。言っておくが、テレビは内輪の飲み会ではなく、その価値観やイメージを公共の電波を通して不特定多数に拡散する公共空間なのだ。番組内で「デブ」「ブス」「ハゲ」などといった容姿いじりをすることは、いじられた芸人・タレントだけの問題ではない。自身の容姿を罵られた経験のある人、自分の容姿について悩んでいる人がそれを観て、心の傷を負う可能性がある。

 それだけではない。こうしたやりとりを公共の電波で垂れ流すことで、「太っていることは笑いや蔑みの対象である」「『ブス』は『ブス』らしく振る舞うべき」といった差別に基づいた価値観を、社会に拡散させ、差別を再生産・強化することになる。

 そういう意味では、佐々木氏の演出案だけでなく、日本のテレビのバラエティで展開されている容姿いじり自体が批判されるべきものなのだ。

 ところが、佐々木氏の辞任が発表された直後の18日午後、渡辺直美がコメントを出すと、芸人コメンテーターたちの「本人が同意しているなら問題がない」という声はさらに大きくなった。渡辺のコメントは全体としては多様性を訴えるものだったが、そのなかに「表に出る立場の渡辺直美として、体が大きいと言われる事も事実ですし、見た目を揶揄されることも重々理解した上でお仕事をさせていただいております」というくだりがあったことで、「渡辺直美本人が気にしてないのに」「渡辺直美はあの演出を嫌がらなかったはず」「演出案を批判することは逆に渡辺にマイナス」などと、大合唱を始めたのだ。

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