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“優生思想”政党・維新の馬場幹事長がれいわ舩後議員の「生きる権利」発言を「旗振り役が議論封じ」と否定! 松井市長もトンデモ論理を

 しかも、維新の連中が恐ろしいのは、ALS患者をはじめとする難病患者や障害者が置かれている状況への想像力をまったく欠いていることだ。

 自身もALS患者であるれいわ新選組の舩後議員が事件を受け、オフィシャルサイトにこう声明を出していた。

〈報道を受け、インターネット上などで、「自分だったら同じように考える」「安楽死を法的に認めて欲しい」「苦しみながら生かされるのは本当につらいと思う」というような反応が出ていますが、人工呼吸器をつけ、ALSという進行性難病とともに生きている当事者の立場から、強い懸念を抱いております。なぜなら、こうした考え方が、難病患者や重度障害者に「生きたい」と言いにくくさせ、当事者を生きづらくさせる社会的圧力を形成していくことを危惧するからです。〉
〈私も、ALSを宣告された当初は、出来ないことが段々と増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、「死にたい、死にたい」と2年もの間、思っていました。しかし、患者同士が支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者さんたちの役に立つことを知りました。死に直面して自分の使命を知り、人工呼吸器をつけて生きることを決心したのです。その時、呼吸器装着を選ばなければ、今の私はなかったのです。〉
〈「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくることが、ALSの国会議員としての私の使命と確信しています。〉

 また、自身もALS患者である日本ALS協会副会長・近畿ブロック会長の増田英明氏も、患者の「死にたい」を鵜呑みにしないでとこう訴える。

「私たちの団体には、彼女のように生きることに迷う人たちがたくさんいます。そういう人を前にして苦悩する家族や支援者もいます。生きることよりもそうじゃない方が楽なのかもしれないと傾きそうになりながら、必死に生きています。彼女を死に追いやった医師を私は許せません。私たちが生きることや私たちが直面している問題や苦悩を、尊厳死や安楽死という形では解決できません。生きてほしい、生きようと当たり前に言い合える社会が必要」(京都新聞24日付)

 舩後議員や増田副会長も語っているように、仮に患者が「死にたい」と口にしたからといって、「死にたい」というのが本当に患者の希望と言えるのかどうか、それが時間や環境の変化で変わらないものなのかどうか、簡単に判別できるものではない。

 仮にその時点で「死にたい」というのが本心であったとしても、友人や家族に「死にたい」と相談されて、じゃあ死ぬ方法を一緒に考えよう・手伝おうなどという人はほとんどいないだろう。なぜ死にたいと感じているのか、その苦しみを取り除くにはどうすればいいか、考えるだろう。

 だが、維新の連中には、そういう視点はまったくない。まさに健常者が想像上で考えているだけの「苦しみながら生かされるのは本当につらい」という価値観を押し付けて、障害者や高齢者に死を選ぶよう圧力をかけているのだ。

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