いずれにしても、こうしたスポンサー企業とのつながりや節操のない広告出演などを見ると、野口氏のエネルギー政策に関する意見などというのは結局、金儲け、身過ぎ世過ぎのまやかしにすぎないのではないか、と思えてくる。
そういえば、野口氏は「児童婚」や「猫射殺」と同様、目の前の利益のためにとんでもない嘘をついたことを自著で自慢げに告白している。
野口氏の父親は前述したように外交官で、世界各地を転々としたが、野口氏自身はイギリスで高校生活を送った後、帰国。一芸入試で亜細亜大学に入学する。
『確かに生きる〜10代へのメッセージ〜』(クリタ舎)という本には、その亜細亜大学の入試でのことが書かれているのだが、ここにとんでもないエピソードが出てくるのだ。
高校時代の成績は非常に悪かったという野口氏だが、入試小論文のテーマは「湾岸戦争」だった。そのときのことを野口氏は〈これはラッキーだった〉と回想している。戦争がテーマだったことを「ラッキー」という感覚もすごいが、ひどいのはここから。
当時、野口氏の父は湾岸戦争当時にイエメン大使をしており、住む家が爆弾テロに遭っていた。野口氏はイギリスの学校に通っていたため、当然、その場にはいなかったのだが、なんと自分が体験したように書いたのだという。同書で、野口氏自身がはっきりとこう書いている。
〈僕はそのテロ事件のときはイギリスにいて事件を新聞報道で知ったのだが、小論文には「湾岸戦争で唯一テロにあった日本人は僕の家」とかなんとか書き、まるで自分がその場にいたかのように書いた。いたともいないとも書かなかったから嘘ではないが……。そして小論文の最後に「僕たちは最後まで逃げなかった」と付け加えた。面接のときも先生方が「あのイエメンでの爆弾事件は君の家だったのか!」と驚いていた。これは印象的だったに違いない。〉
もはやコメントは必要ないだろう。この人にはこれから、国民の生活や社会の将来を左右するような問題などには一切コミットせず、おとなしく山の清掃だけやっていてもらいたい、と願わずにはいられない。
(編集部)
最終更新:2019.12.16 02:34