例の宮崎駿監督問題のときもそうだった。『ワイドナショー』が創作ネタツイートの宮崎駿監督引退宣言集を本物だと思い込んでそのまま報道、松本らがそれを前提にさんざん宮崎監督のことをからかうというフェイク特集を放送したのだが、翌週、番組が謝罪放送した時も、松本は謝罪するどころか、秋元優里アナが謝罪コメントを読み上げている間、画面にすら映らず、終わった後、逆に番組にこう説教したのだ。
「こういうことがあったときに、あれですよね、でもなんかこう、スタッフの責任に丸投げすんのは僕はやっぱりあの、嫌なんですよ。いや、これ本当にあの正直言うと、知らんがなですよ。だって、我々は与えられた情報をしゃべるしかないので、それでまあ本番中もこういう、事前にあのフリップを見たわけでもないですし、僕はまあそのそこまで詳しいわけではないから、まあね、ああ言われると我々はそれを信じてしゃべるしかもうないんですよ。んー、で、これをもしやめるならば、我々はもっと東野も俺も何時間も前にスタジオに入って、ニュースを全部決めて、文言も全部確認して、裏取りもしてってやらないといけない。で、そんなことできるわけないし、我々の仕事ではそれはないので。なんですけど、だからといって、我々は知らんわ~っていうのは僕は何となく嫌いなので、どうしようかなーと思ったんですけど、今度もしこういうことがあったときは、もう僕は『ワイドナショー』を降りようと思ってるんですよ」
「スタッフの責任にすんのは嫌」「僕は知らんというのは嫌い」とか言いながら、「正直言うと知らんがなですよ」「与えられた情報」「ああ言われると我々はそう信じてしゃべるしかない」と責任転嫁しまくったのだ。報道、情報番組の司会者やレギュラーコメンテーターというのは、番組全体を背負って社会的な発言をする存在であり、ミスがあったときは、当然、その責任をとる立場でもある。その情報をとってきたのが自分かどうかというのは関係がない。スタッフが取材したものだろうが、ADが作ったフリップだろうが、それを事実として語ったら、誤報が明らかになったときは番組を代表して謝罪する必要があるのだ。
それが、「事前にフリップを見たわけでもない」などと平気で部外者のようにふるまい、「次にこういうことがあったら降りる」「それぐらい失敗のないように緊張感をもって。ニュースを扱うということはそういうこと」「僕はそれぐらいでみんなの緊張感が高まればいいかなーと」とか、まるでスタッフへの訓示のようなコメントを口にするのだから、いくらなんでも他人事感がひどすぎるだろう。