「政治を語りたがるタレント」はなにも村本だけではない。たとえば、彼女に近しい存在としては、頻繁にゲスト出演する『ワイドナショー』(フジテレビ)のダウンタウン松本人志も「政治を語りたがるタレント」のひとりだろう。
だから、指原はここで村本ではなく松本の名前を挙げてもよかったはずだ。彼女にとってより距離の近い「政治を語りたがるタレント」は松本なのだから。
松本だけではない。小籔千豊、千原せいじ、たむらけんじ、つるの剛士……政治を語るタレントは他にいくらでもいる。
しかし、ここで指原が半ば嘲笑するような文脈で名前を出したのは村本だった。
ここには明確な理由がある。松本らが安倍応援団的発言を繰り返しているのに対し、村本は現状に対して批判的な眼差しをもち、反権力の姿勢で発言している芸人だ。ようするに、指原が言っているのは、「政治発言がダメ」ではなく、「政権批判や現状に対する異議申立てがダメ」ということのだ。
指原といえば、『ワイドナショー』(フジテレビ)で、セクハラ問題が取り上げられた際は一貫して松本に同調し加害者を擁護し被害者を非難したり、安倍首相が出演した際は「(子どもを)産めれば産めるほど産みますよ。国に貢献したい」と前のめりに発言したり、あるいはAKBグループで何か問題が生じたときに運営の側に立って発言してきた。常に強者を擁護し、弱者を叩いてきた。
今回の発言も、もちろん“大人のエライ男性たち”の空気を読み、男社会の価値観を内面化することで現在のポジションを築いてきた指原の処世術という面も多分にあるだろう。
しかし、単なる指原の処世術というだけの問題ではない。これは日本の言論状況そのものを象徴している。
上述した「芸能人は政治発言をするな」「〇〇に政治を持ち込むな」という決まり文句じたいが、実のところ、政治発言全般に向けられているわけではなく、政権批判や異議申立てに向けられているのだ。
近年の「芸能人は政治発言をするな」「〇〇に政治を持ち込むな」として非難を浴びた事例を思い返してほしい。
たとえば、石田純一の安保法制反対デモ参加、SEALDs奥田愛基氏のフジロック参加、ウーマン村本の安倍政権批判、ローラの辺野古埋め立て反対……。いずれも、政権やいま進行している政策に反対する発言ばかりだ。