さらに、ハラスメントの加害者である橋本議員が書面で謝罪するだけであった一方、被害者であるはずの高橋選手が会見を開いたうえ、「パワハラ、セクハラがあったとは一切思わない。大人と大人がちょっとハメを外しすぎたのかなと思います。すみません」と謝らされるという、一般的な感覚では容易には納得しがたい事態にもなった。
橋本議員はこの一件で「ガバナンス、コンプライアンスの問題などというものは権力で捻り潰せばいい」という学びを得たのだろうか。
さらに昨年3月には、平昌オリンピックでメダルを獲得したばかりのスピードスケートの高木美帆選手を自民党の党大会に招き、「今日は安倍晋三首相もいらっしゃいます。お願いごとがあればぜひ」などと語りかけ、発言を促したこともある。スケート連盟幹部という支配関係を背景にした、あまりにも露骨な選手の政治利用だった。
今回のような暴言がよりによって元スポーツ選手の議員から飛び出すのはなぜか。その背景にあるのは、安倍政権の打ち出す「オリンピックのためなら喜んで命や財産を捧げるべきである」という国家主義や自己犠牲の精神と、日本のスポーツ界に根強い旧態依然とした体育会体質との親和性の高さだろう。
とくに橋本議員は、オリンピアンとして活躍したうえ、セカンドキャリアでも政治家として権力を手にした人物であり、体育会体質のなかでの成功体験を積み上げてきたことから、よりその傾向が強いのだろう。
今回の橋本暴言を見れば、東京オリンピックを前に、ガバナンスやコンプライアンスの問題が絶えないのは、橋本議員のような類の人材がJOCの上層部にいる以上は必然。このままでは今後も問題が噴出する状況は変わらないことは明らかだろう。
(編集部)
最終更新:2019.02.19 11:39