『性のタブーのない日本』(集英社新書)
今月29日、作家の橋本治氏が肺炎のため死去した。70歳だった。橋本氏といえば、東大在学中につくった「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーの駒場祭ポスターで注目を浴び、女子高生の一人称で綴られた1977年発表のデビュー作『桃尻娘』(講談社)は大きな話題を呼んだ。
小説、評論、エッセイ、さらに古典と幅広く活躍してきた橋本氏だが、じつは折に触れて安倍政権と、その政権運営や安倍首相の発言に疑問を抱かない国民について批判してきた。たとえば、2014年に安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際には、安倍首相の相手の質問に答えない姿勢と、それに対して批判が起こらない状況について、こう言及していた。
〈尋ねられたことに対して向き合わない。その代わりに近似した別の「自分の思うこと」だけを話して、議論は終了したことにしてしまう。なにかは話されたけれども、しかし疑問はそのままになっている。「なんかへんだな?」という思いが残るのは当たり前ですが、どうやら日本人は、そのこと自体を「おかしい」とは思わなくなっているらしい。少し前までなら、「答えになってないぞ!」というヤジが飛んだようにも思いますが、いつの間にか日本人は「答えになっているかどうか」を判断することを忘れてしまったようです。〉(朝日新聞2014年7月8日付)
こうした状況はいまも変わりはないどころか、ますます悪化するばかりだが、さらに橋本氏は、安倍政権や日本会議が語る「日本」や「伝統」についても、痛烈な批判をおこなっていた。
このことについて、本サイトでは2016年2月に記事にして配信した。今回、以下に再録するので、あらためて橋本氏の鋭い指摘を一読いただきたい。
(編集部)
********************
夫婦別姓に関する最高裁判決や、渋谷区の同性パートナーシップなど、昨年は「家族」「性」に関する新たなかたちを模索する動きが多く生まれた年であった。
しかし、ご存知の通り最高裁は、かつて「夫婦別姓は家族の解体を意味します。家族の解体が最終目標であって、家族から解放されなければ人間として自由になれないという、左翼的かつ共産主義のドグマ(教義)。これは日教組が教育現場で実行していることです」(「WiLL」ワック/2010年7月号)」との発言を残している安倍首相に忖度したのか、夫婦別姓を認めない規定は合憲であるとの判断を下した。
また、同性パートナーシップ条例に関しても、安倍首相は昨年2月18日の参議院本会議で「現行憲法の下では、同性カップルの婚姻の成立を認めることは想定されていない」と発言。9条を解釈改憲して安保法制を強行採決させたうえ、日本国憲法は「押しつけ憲法」と語り憲法改正を悲願としているのにも関わらず、この件に関してはなぜか、かたくなに憲法に固執する二枚舌を見せている。
そして、同性パートナーシップ条例が成立した3月には、「普通の愛情は男女から発生する」「少数派を多数派と同じ扱いをすることが平等ですか」「LGBTが社会を乱している」といったLGBTの人たちへのヘイトスピーチを叫んだ反対派デモが発生。そのデモの主催者である「頑張れ日本!全国行動委員会」は、結成大会に安倍晋三氏、下村博文氏、高市早苗氏、山谷えり子氏、稲田朋美氏といった人たちが出席、なかでも安倍首相は基調演説までしている団体であった。ちなみに、そのデモで配られたチラシには、次のような文言が記されている。
〈伝統的な家族制度に混乱をもたらす渋谷区条例〉
夫婦別姓の問題にせよ、パートナーシップ条例をめぐる議論にせよ、政権側からは、この「伝統的な家族制度」なる言葉が盛んに使われる。しかし、この「伝統」とはいったい何を指しているのだろうか。小説『桃尻娘』や、『古事記』『源氏物語』の現代語訳など古典文学研究の仕事で知られる橋本治氏は、「週刊プレイボーイ」(集英社)16年2月15日号のインタビューでこんな言葉を残している。
「今や建前が好きなのって自民党の政治家だけじゃない? なんか、あの人たちの言う「伝統」やら「日本」やらが私は一番嫌いなんですよね。
それは明治以降の近代日本人が「勝手につくった日本」だろうっていうのが頭にあってさ。そういうのがいやだから、こうして近代以前に遡りながら「そうじゃない日本」を一生懸命に探しているわけなんですけどね」