比較するべきですらないが、ベストセラーとなった“戦後を舞台にした愛国エンタメ”や“コピペだらけの日本スゴイ史”とは、まさしく対照的だろう。『宝島』が強度を持つのは、この作品が描き出しているものが、たしかに安倍政権下の今、沖縄が置かれている状況と重なっているからだ。
周知の通り、現在、政府は辺野古新の土砂投入を強行するなど沖縄の“民意”をないがしろにし、沖縄振興費減額等の圧力をかけながら「普天間か辺野古か」と基地の固定化をすすめている。自民党の勉強会では、基地問題をとりあげる沖縄地元紙を「つぶさなあかん」などという言葉が平然と飛び出し、機動隊員が市民に向かって「土人」なる差別発言を繰り出した。テレビ番組では、コメンテーターや評論家が「日米安全保障のために基地は仕方がない」と物知り顔で解説し、ネット右翼たちは「沖縄は反日」と連呼、米軍基地に反対することは「わがままだ」と叫び立てている。
安倍政権と“本土”の人々が一緒になって沖縄を差別し、犠牲にしているのが、沖縄の「本土復帰」から47年になろうとしている現在の日本だ。
著者の真藤は東京生まれで、沖縄にルーツはないという。完成までには7年の月日を費やし、その間3度沖縄を訪れて取材した。受賞の記者会見では、辺野古問題などで沖縄に注目が集まっていることについて、「沖縄に関して言えば、今が旬ということはない」「別に今に限ったことではないと自分では思っている」「沖縄というのは常にアクチュアルな問題」と語った。そしてこうも述べていた。
「沖縄の人間ではない僕が書くっていうのは、その葛藤自体はなんども繰り返しましたし、途中書けなくなった時期っていうのはそういう自問自答にぶつかっていたんですけども。沖縄の問題というのは、やっぱり現代日本のいちばん複雑な問題でもありますし、これはちょっとセンシティブすぎてやめておこうかなって思って腰がひけてしまうっていうのが、結局、その腫れ物に触るような扱いをするっていうのが、潜在的な差別感情みたいなことが起きているのと同じことなんじゃないかなというふうに思いました」
これはまさに、沖縄をめぐる日本の言論の本質を突く言葉と言っていいだろう。そして、真藤はこの逡巡と葛藤を乗り越えるために必要だったのは覚悟だったと明かした。
「自分が書くことによって、批判であるとか、沖縄の人が読んで違和感があるとか、そういう意見がもしも出てきたら、僕が矢面に立って議論の場に出て行こうと。その覚悟を決めるまでに逡巡があった」